この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
 バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。



 雨粒がヘルメットのバイザーに当たり、風圧で表面を流れて行きます。
 今日は午後から天気が崩れるというお話でしたので、バイザーにコート剤を塗っておいたのですが…… 正解でしたね。
 せっかくのツーリングに雨とはついていないですが、帰路半ばまで天気が保ってくれたのですから、むしろ、運が良かったと考えるべきでしょうか。

「?」

 先頭を走る相沢さんのアクシスが減速しました。
 点滅するウィンカー、そして前方にはちょっと古びたドライブイン。
 どうやら休憩を取るようです。
 私も、それに合わせスロットルを緩めました。



美汐のスクーター日記
『レイニー・ライダー』



「ふぅ」

 幸運にも、ドライブインの軒下に相沢さんのアクシス、あゆさんのチョイノリ、私のZRを並べて停めることができました。
 もしかしたら、相沢さんはこれを知っていて休憩場所に選んだのかもしれませんね。
 今度から、私も利用させていただくことにしましょう。

「あぅー、手が冷たい」
「大丈夫ですか、真琴?」

 とりあえず、レインコートを脱ぐ真琴を手伝います。
 真琴が着ているのは一般的なセパレート型のレインコートですが、この型は雨風に強い代わりに、ズボンの着脱が面倒です。
 特に、中を濡らさないように脱ぐのは至難の技ですね。
 危なっかしくて、手を貸さずにはいられません。

「うぐっ!?」
「っと、気を付けろよ、あゆ」

 向こうでも、あゆさんが転びそうになっています。
 さすがに相沢さんは慣れた様子で手伝ってあげていますね。

「さぁ、真琴」

 真琴から受け取ったグローブは、水気を切って、自分のものと一緒にフロントポケットに。
 レインコートは、内側を濡らさないよう気を付けながらざっと畳んでフロントのカゴへ。

「ありがと、美汐」
「いいえ、いいんですよ」

 私自身は、セパレートではなく、ロングコート型のレインコートを着ていますから、脱ぐのはすぐです。
 スクーターは、足を揃えて乗ることができますし、風防で足元は守られているので、これでも問題ありません。
 ブーツは防水・透湿仕様ですし、それでも凌げないような雨なら、ブーツカバーを付ければ良いだけですし。

「うーん、便利そうだな、それ」

 相沢さんも、感心したように言って下さいます。

「雨の中、お店に出かけたりもしますから」

 脱いだレインコートは、やはり前カゴへ入れて、飛ばされないよう、ゴムバンドを渡します。
 ヘルメットはメットインへ。
 今回のように、屋根のある場所に停められなくても、これなら問題ありません。

「主婦の知恵だな。さすが天野、おば「それ以上言ったら怒りますよ」……うぐぅ」

 まったく、この人は……

 軒先でいつまでも騒いでいても、寒いだけです。
 早いところドライブインの中に入って、一息つきましょう。



「あぅ〜っ、手から黒いのが落ちない〜っ」
「ふはは、バカめ、黒革のグローブで雨に降られれば、色落ちするもんだ。天野のように、白で濡れに強い合成皮を選ばないとな」
「何よっ! だったら祐一が貸したグローブのせいじゃないっ!」

 お手洗いから戻ってみえた真琴と相沢さんですが……
 相変わらずですね。
 少しは、周囲の目というものを考えて欲しいです。
 あゆさんは……

「あゆさん!? 髪の毛、びしょ濡れですよ。何かあったんですか?」
「うん。ヘルメット被ってるはずなのに、走ってる内にどんどん濡れちゃって……」
「まさか…… ヘルメットのベンチレーターは、閉じましたよね?」
「えっ? 何それ?」

 ベンチ全開で走れば、それは濡れますよ……

「はぁ、とりあえず、これで拭いてください。風邪をひきますよ」
「あ、ありがとう、美汐ちゃん」

 ポケットからバンダナを出して、お渡しします。
 それにしても……
 この人に美汐ちゃんと呼ばれると、ひどく違和感を感じてしまいますね。


「あぅ、肉まんない……」
「季節を考えろ」
「うぐぅ、たい焼きも無いよ」
「だから、季節を……」
「私はこの、ブルーベリーアイスにします」
「何だ天野、抹茶「相沢さん」……うぐぅ」

 結局4人とも、ここのお勧めらしいブルーベリーアイスを食べることにしました。

「おいしいですね、栞さんにも……」
「勘弁してくれ。ただでさえ栞には恨めしそうにされるし、香里には睨まれるし、大変なんだぞ」

 そうでした。
 病気が治ったとはいえ、まだまだ体力的に不安が残る栞さん。
 相沢さんのタンデムシートに乗ることも、ましてや、あゆさんのように自分でスクーターに乗ることも、お姉さんである香里先輩が許すわけがありません。
 そんな栞さんに今日のことを話すなど、やはり人として不出来と言わざるを得ないでしょう。

 ……とはいえ、私はともかく、あゆさんや真琴が黙っていられるとも思えないのですが。

「相沢さん…… どうか、強くあって下さいね」
「うぐぅ……」



「それにしても、あゆも大分慣れてきたよな、運転」
「そ、そうかな」

 最初はおっかなびっくりの様子で走っていたあゆさんでしたが、最高速でも40キロオーバーがやっとのチョイノリです。
 今ではすっかり慣れた様子で、走り出してから止まるまで、常時フルスロットルで走っていますね。
 それでも警察に捕まることはありませんから。

「でも、やっぱり雨に濡れた道路は滑りそうで怖いよ」
「うーん、そうだな…… 40キロ程度のスピードなら大丈夫だと思うが、この先、下りもあるしな」

 油断はしない方がいいでしょう。
 ツーリングは無事家に帰り着くまでがツーリングだと、昔の人も言っていますし。

「急ブレーキ、急加速は厳禁。バンクは極力取らないようにすれば良いでしょう。あと、路面をよく見て、水たまりを避けるライン取りをするとか」
「路面の状況に応じてコーナーのライン取りを考えるなんてテク、こいつに求める方が酷だと思うぞ」
「うぐぅ……」
「インベタにならないように、車線の真ん中を走ればいいんですよ。あまり脇に寄りすぎると、雨で流されたゴミや砂でスリップする可能性もありますからね」

 それと……

「エンジンブレーキと、ポンピングブレーキを併用しながら走るんだぞ、あゆ」
「そうですね。雨の日はエンジンブレーキを多用するのが良いのですが、いざという時にブレーキが利くのを確認する意味も込めて、ポンピングブレーキも行うのが良いでしょう」

 ドラムブレーキは閉鎖されている分、雨に強いのですが、内部に雨が入ってしまうと、利きが悪くなってしまいます。
 時々ブレーキングを行って確認すると同時に、摩擦熱で内部に入った水分を飛ばしてしまうのが良いです。

「それに、後続の人への合図という意味もあります」

 エンジンブレーキだけでは、ブレーキランプが点きませんからね。
 雨で、ただでさえ視界が悪くなっているのですから、それぐらいの気遣いが必要でしょう。

「うぐぅ……」
「? どうしたあゆ」
「あゆさん?」

 両手を見つめ、握ったり開いたりしているあゆさん。
 まさか……


「ボクのスクーター、そんなブレーキ付いてないよ」


「……やっぱりですか」
「お約束過ぎるぞ……」
「あう?」

 脱力する相沢さんと私を、口元にアイスクリームを付けた真琴が、不思議そうに見ています。
 静かだと思っていたら、食べるのに夢中になっていたようですね。
 テーブルに備え付けのナプキンで、拭ってあげます。

 ……軽い、現実逃避というやつです。



「そうか、エンブレもポンピングブレーキも知らないか、あゆ」

 エンジンブレーキについて、あゆさんにどう説明をしようかと考えていると、相沢さんがもっともらしい様子で話し出されました。

 これは……
 いつものアレでしょうか?

「いかんぞ、あゆ。そんな大事なことも知らないなんて」
「うぐぅ……」
「最近、そういうやつが多いからな。大体、旅先でぽんと買えるようなものじゃないんだぞ」

「あぅ、そうなの、美汐?」
「……ええ、まぁ、少なくともウソではありませんね」

 ……作為的な意図が露骨に感じられますが。
 大体、旅先どころか、どこにも売ってませんよ、そんなもの。

「オイルとかなら、その辺でも入れることもできるが、エンブレはな…… そうだな、スタンドの兄ちゃんに聞いてみるか? 何とかしてくれるかもしれんぞ」

 それは、何とかして下さるかも知れませんが……
 いえ、エンジンブレーキのことではなく、相沢さんに騙されているあゆさんを、ですが。

 それにしても……
 お二人の会話を聞いていると感じる、この脱力感は何なのでしょう?

「あぅ、美汐、大丈夫?」
「はい。……何とか」

 一人、蚊帳の外に居る真琴が羨ましかったです。


 この後……


 本当にガソリンスタンドの店員さんに「エンジンブレーキ売って下さい」と言い出すあゆさん。

 慌ててあゆさんを止めようとする私。

 きょとんとしている真琴。

 それを尻目に、おなかを抱えて大笑いする相沢さん。


 お約束の光景が展開したことは……
 言うまでもありませんね。



To be continued






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 専用品だけあって、これが使いやすい。
 自転車用などの一般用を流用したりすると風圧で裂けてきたりしますからね。

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