この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
 バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。



「どう? 祐一君」
「どうって、お前……」

 絶句する相沢さん。
 それはそうでしょう。
 私だって驚きで声が出ませんから。
 何しろ……

 ヘルメット姿のあゆさんが、『スクーターに乗って』やって来たのですから。

「すまん、あゆ…… お前がそこまで思い詰めていたのに気付かなかったなんて」
「えっ?」
「悪いことは言わん、さっさと返してこい。たい焼きの食い逃げとは訳が違うんだぞ。どこからパクって……」
「うぐぅ〜っ!?」



美汐のスクーター日記
『あゆさんとチョイノリ』



「うぐぅ〜っ、盗んだんじゃないもん。自分で買ったんだよっ! ……祐一君がいつまでも後ろに乗せてくれないから」
「な、なにぃ!?」

 相沢さんのアクシスの、タンデムシートに乗る権利。
 最後まで許可が下りなかったのが、あゆさんと栞さんでした。

 体力と運動神経の面で不安があるから、というのが理由ですが、保護者が許さなかったからというのが本当かも知れません。
 栞さんの場合は、もちろんお姉さんである香里先輩が。
 そして、あゆさんの場合は……

「知ってるか、あゆあゆ。日本ではスクーターに乗るには免許が必要なんだぞ」
「もちろん知ってるよっ! このために免許だって取ったんだから!!」
「なっ、ばかな! あゆに免許を与えるなんて、警察は何やってるんだ!」
「うぐぅ……」

 いけません。
 あゆさん、そろそろ涙目になってきています。
 いつもなら、それを察してからかうのを止める相沢さんですが、今回ばかりは本気で驚いている様子ですから歯止めが利かないでしょう。

「相沢さん、そろそろ事実は事実として受け止めた方がよろしいのでは?」
「天野……」

 何事か言いかける相沢さんでしたが、私の言いたいことを察して下さったのでしょう。
 ぐっとこらえて一言。

「……つきあってくれよ、天野」

 もちろん、そのつもりです。



「それにしても、SUZUKIの『チョイノリ』ですか。いいですね」
「そ、そうかな? アルバイトで貯めたお金じゃ、これしか買えなくて」
「ご自分のお金で買ったんですか!? それは凄いです」

 あゆさんの買ったスクーターは、極限までシンプルな構成と可愛らしい外見、そして国産で5万9千8百円という衝撃的な価格で話題となった、SUZUKIの『チョイノリ』でした。
 全6色のカラーから選べるようになっていますが、あゆさんの物は確かチーズディッシュと言いましたか。
 例えるなら……

「タイヤキ色だな……」

 そう、それです。



「天野…… オドも燃料計も燃料警告灯も見あたらないんだが」

 いぶかしげに言われる相沢さん。
 どうやら、このチョイノリのこと、ご存知ないようですね。

「ありませんよ、そんなもの」
「はぁ? じゃあ、どうやってガスの残量を計るんだ? せめてオドがあれば、燃費から推測することもできるんだが……」
「推測航法ですね。地図や標識から走行距離を割り出しますか?」
「おいおい……」
「冗談ですよ。リザーブが付いていますから、吹けが悪くなったら切り替えて、スタンドまで走るんです」
「へぇ……」
「昔は燃料計の無いバイクも珍しくなかったそうですよ。タンクをゆすったり叩いたりして音で判断したり、給油口から覗き込んで確かめたりしていたそうです」
「なるほど」

 相沢さん、本気で感心していらっしゃるようですね。
 いつもならここで、

『昔のことをよく知っている』=『おばさんくさい』

 という図式でからかわれるのですが、それもありません。

 ……少し物足りなく感じてしまうのは、それだけ相沢さんに染められてしまっているということなのでしょうか?
 ともあれ、

「そういうことですから、あゆさん。給油したらリザーブから元に切り戻すのを忘れないようにしてくださいね」
「………」
「どうした、あゆ? もしかして……」

 もうやってしまったとか?

「うぐぅ…… そうやって走れば良かったんだ」

 ……リザーブの存在自体、知らなかったということですか。

「ま、まぁ、40キロ足らずの車体ですから、スタンドまで押すのも楽ですよね」
「そんなに軽いのか? 天野より……」
「相沢さん……」

 女性に体重の話なんて、そんな酷なことはないでしょう。

 ……チョイノリに負けているから、怒っているわけではありませんよ。
 ええ、決して。

「とにかく、この軽さは非力な女性にはとてもありがたいものです。駐車場での切り返しとか、苦労させられますから」
「しかし、そこまで軽いとなると…… 一体何を削ったんだ?」
「まず、ユーティリティは全く無いとして、とりあえずバッテリーレスですよ。もちろん、セルはありませんし、チョークも手動です」
「……何のレバーかと思ったら、ハンドルに付いてるの、チョークレバーだったのかよ! まるで芝刈り機だな」
「そうですね…… ちなみにエンジンは自然冷却のOHVなんですよ」
「今時OHV? 本当に芝刈り機のエンジンか?」
「いえ、ちゃんと新開発のメッキシリンダーエンジンです。2馬力しかないとはいえ、30キロまでの十分な加速力はありますし、トップスピードは40キロを越えますから十分でしょう」
「4ストの原付としては?」
「ええ、原付本来の性能としては。そもそも、法定の制限スピードは30キロなんですよ。それにリアがリジッドですから、あんまりスピードが出ても困るでしょう」
「リジッドって…… リアサスが無いのか!?」
「ハーレーだって、そういう車体があるじゃないですか。問題ありませんよ」
「むぅ……」



「でも、本当、いいですよね。良いスクーターを買われました」
「そ、そうかな? でも、美汐ちゃんのスクーターの方が速いし、いいバイクなんだよね?」
「便利で速いスクーターですが、それとものの価値は関係ありませんよ。乗っていて楽しいかどうか、それが全てだと思います」
「楽しいか、どうか?」
「私もZRの慣らしのために低速で走って改めて感じたのですが、のんびりと風景を楽しみながら走ることができるというのも原付の利点だと思うんです。そう言う意味で、チョイノリはとても贅沢なスクーターなんですよ」
「贅沢?」
「今の世の中、一番高価いのは時間、そして人手です。それを使う楽しみを与えてくれるんですから」

 とにかくシンプルで、人間が簡単にできる物は手動で行う。
 動力性能も、『原付』として必要とされるものを必要なだけ。
 私が今乗っている、リモコンまで付いたJOG−ZRとは、対極の位置にあるスクーターだと言って良いでしょう。

「私も仕事…… 遠出する必要が無ければ欲しかったですよ、チョイノリ。今度一緒にどこかに行きませんか? もちろん、相沢さんも一緒に」
「………」
「……祐一君?」
「……ん、いいぜ。確かに良いスクーターだ。少なくとも目の前でウィリーしてすっ転ぶあゆを見なくて済むだろうしな」


 ……やっぱり強い人ですね、相沢さんは。

 7年前の、あゆさんの事故。
 気にしていないわけではないのでしょう。
 そんな素振りは見せませんでしたが、あゆさんのタンデムには最後まで反対されていたのですから。
 記憶を閉ざしてしまうほどの体験をしていながら、最後には、それを乗り越えることができる。
 痛みを受け止めた上で、前に進むことのできる強さ。

 だから……

「ファジーな効き味のドラムブレーキとあゆさんの握力のコンビネーションなら、急ブレーキをかけても車輪がロックしてしまうことも無いし、ですか?」

 せめて、この人の気持ちが和らげられるよう、柄でもない冗談も言ってみます。

「人間ABSだな。すごいぞ、あゆあゆ」

 人の悪い笑みを浮かべて、応えて下さる相沢さん。

「うぐぅ、何だかバカにされてる気がするよ……」

 そう呟くあゆさんに悪いとは思いましたが、笑いをこらえることができませんでした。



To be continued






■ライナーノーツ

 SUZUKIのチョイノリ、乗ってみたかったですね。


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