「パンツァー・アンド・マジック」
第一章 松代大本営−3
テーブルの上には既に彼女たちの分の食事が用意されており、アウレーリアの前には大地と同じく血も滴るドラゴンステーキがあったが、楓の前にはどんぶりが一つ置かれているだけだった。
「楓は肉、食わないのか? せっかく獲れたばっかりなのに」
大地は楓の前に置かれたどんぶりの中身を見て言う。
油揚げが乗せられた、きつねうどんだ。
砂糖、醤油、みりんなどを使用し、しっかりと煮て甘辛く味付けをした油揚げと刻んで添えられた新鮮なネギは、それはそれで美味そうではあったが。
「いくらお稲荷さんの巫女だからって、そこまで徹底しなくてもいいだろうに」
大地が言うと、アウレーリアが同調する。
「そのとおりじゃ、成長期に肉を食わんと色々と育たんぞ」
アウレーリアの視線は、楓の控えめな胸の辺りに向けられていた。
釣られて視線を向けた大地は、着物の袷から覗く白い胸元に一瞬、意識を奪われてしまい慌てて目をそらす。
しかしそもそも、千歳を越えてもまったく育っていないアウレーリアが言うのも説得力が無いのだが。
「いいんです。お揚げの原料の大豆は畑のお肉ですから」
楓はつんと澄ましてそっぽを向く。
「まぁ、好みは人それぞれでいいさ。ともかく食おう」
大地は官給品の折り畳みナイフを取り出した。
実際に従軍する兵士には必要不可欠なもので、肥後守のように鉄板を折り曲げて造られた柄は軍服と同じ草色に塗られ、缶切りも付いている。
ステーキを箸で押さえながら、ナイフで切る。
自分で良く研いであるので切れ味は良い。
切り口からは美味そうな肉汁がしたたった。
それを箸でつまみ、口へと運ぶ。
「美味い」
思わず、つぶやきが漏れた。
軍隊は良いものが食べられるとは言っても、それは貧しい農村に比べての話。
山盛りの麦飯を腹いっぱい食べられるのはぜいたくだが、おかずは一汁一菜が基本だ。
これだけ分厚い肉など、大地は食べたことが無かった。
「そうであろう、そうであろう。ドラゴンステーキは珍味中の珍味じゃからな。これが食べられるとは、本当に運が良い」
アウレーリアは器用にフォークとナイフを使って食事を楽しんでいる。
不思議なのは、上品に食べているように見えるのに肉が消えていく速度が軍隊で早食いに慣らされている大地と同じぐらい早いことだった。
そもそも根本的な体格だって違っているというのに。
「むぅ」
無駄に対抗心を燃やす大地に、アウレーリアは悪戯っぽい光を宿したすみれ色の瞳を向けていた。
その隣では楓がきつねうどんを一人つつましやかにすすっているのだったが、
「うーん、でもやっぱり西の人間としては真っ黒なつゆは許せませんね」
残ったつゆを前に、飲もうかどうか迷っている様子。
「ああ、関西は透き通った薄口醤油のつゆなんだったか」
大地がうろ覚えの知識を引っ張り出すと、楓は我が意を得たりとばかりに身を乗り出した。
「そうなんです! やっぱりうどんは薄口醤油に、おだしはあっさりとしていながらも風味が利いた昆布とカツオ節なんです! 東京は駄目でも長野なら、と思ったんですが…… ここも真っ黒な濃口醤油でした」
と、肩を落とす。
西と東で異なるうどんのつゆの境目はどの辺りにあるのだろう。
なかなか興味深い話だった。
「やっぱり真っ黒なつゆって身体に悪そうですよね。しょっぱそうで」
そうつぶやいた楓の言葉に答えたのはアウレーリアだった。
「いや、塩分は濃口醤油より薄口醤油の方が高いのじゃぞ」
「はい?」
面食らった様子の楓に、アウレーリアは語る。
「醸造食品である醤油は発酵、熟成が進むほど色が濃くなり風味が豊かになる。一方で薄口醤油の色が淡いのは高濃度の食塩で発酵、熟成をおさえ、併せて醸造期間を短くしたためなのじゃ」
どこから知識を手繰り寄せてきているのか感心するほどすらすらと述べる。
「まぁ、醸造過程の仕上げには甘酒や水あめを加えるのも特徴で、うま味、そして香りも淡い色と同様、控え目に仕上がっていてうどんのつゆなどにはよく合うがの」
そう言って話を終える。
しかし、
「うーん」
それを聞いて益々頭を悩ます楓だった。
「食った食った……」
腹を抱えながら大地は満足する。
一カ月分の肉を食べたような気がする。
そこに、楓がお茶を淹れてくれる。
「ありがとう」
大地は礼を言って、それを飲むが、
「最近出回っているもので杜仲茶と言うらしいです。血圧の降下や肝機能の向上に効果があると聞きましたけど」
普通のお茶と違った味に戸惑うより、尋ねるより前にそう告げられた。
どうにも思考を先回りされているようで大地は妙な気分になる。
よほど大地の考え方が分かりやすいのか、楓の頭の回転が良過ぎるのか。
そう考えるのが普通なのだろうが、浮世離れした楓の楚々とした姿を見ていると、そうとばかりも思えなかった。
「ああ、杜仲の葉を煎じたものかえ」
アウレーリアが、興味深そうに湯呑を覗き込みながら言う。
「トチュウ?」
聞き慣れない言葉に大地が首を傾げると、
「うむ、樹皮は漢方薬の原料として使われ、若葉はお茶として利用される木じゃが、一番の特徴は寒冷地でも育つゴムの産出木だということよ。国内で必要となるゴムの需要をまかなうため、現在栽培が進められていると聞くぞ」
と、アウレーリアが説明してくれる。
「あー、国外からの供給が断たれてるからな」
大地は眉をひそめた。
■ライナーノーツ
> 大地は官給品の折り畳みナイフを取り出した。
これは、こちらのサイトに実物の写真紹介があります。
先祖は水呑み百姓。今も貧乏人!!−日本陸軍 実物 官給折り畳みナイフ(缶切り付き)
> 西と東で異なるうどんのつゆの境目はどの辺りにあるのだろう。
一般に西日本は出汁文化と言われます。
これは土佐の鰹節と北前船で運ばれてくる昆布があったからこその食文化です。
これにより、十分な旨味が取れていたからこそ、醤油はあっさりとした薄口醤油で十分だった訳です。
一方、東日本ではそれらの出汁を取る材料に恵まれませんでした。
出汁、というのは旨味やコクです。
不足したこれを補うために、東日本では醸造発酵を進めて風味を増した濃口醤油を使った訳ですね。
これが、西と東でうどんのつゆが異なる理由です。
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