この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。
「八幡様の神主が、おみくじ引いて申すには。いつも赤組、勝ち、勝ち、勝っち勝ち」
どこからか、風が運んできた一片の桜の花びら。
ふと、思い出し、口ずさんだのは懐かしい歌。
「何だそりゃ」
巫女装束の裾を翻し振り向くと、そこには本殿の階段に腰掛けた相沢さん。
境内に降り注ぐ春の光に、こちらに向けられた瞳が眩しそうに細められています。
「応援歌ですよ」
「応援歌?」
「そう、この丘の上の城跡に小学校が建っているのはご存知ですよね。その小学校に伝わる応援歌。この八幡神社にちなんだものですよ」
美汐のスクーター日記
『舞い散る桜の中で』
「天野の御本家が宮司を務める、この八幡神社。元々は、この地を治めた城主の館神だった、ということはお話ししましたよね」
「ああ」
「ですからでしょうね、城跡に建てられた小学校に、このような応援歌が伝えられたのは」
くすりと笑います。
このお社は小さな物ですから、毎日ここの前を通って通っている小学生達も、自分達が歌っている八幡様が、ここにいらっしゃると言うことをほとんど知らないのですよね。
私自身は、「八幡様の神主」が、御本家のおじ様だと知っておりましたので、この歌を歌わされた時には何とも不思議な感じがしたものでしたが。
「で、何でまたその歌を急に?」
そう問いかける相沢さんにそっと掌を開いて、その中に捕まえた桜の花びらをお見せします。
「春ですから」
「春だから?」
いぶかしげに問う、相沢さんの様子はどこか微笑ましくて。
ふと笑いが洩れます。
「ここの小学校の運動会は、春、満開の桜の元でするものなのですよ」
この雪国の春は遅く、入学式の季節などでは桜はまだ硬い蕾のままですが、だからこそ、桜が花開く頃に運動会ができるのです。
「応援に来た家族と一緒に、校庭の周囲にぐるりと植えられた桜の下で、花見をしながらとるお昼ご飯。それがこの小学校の運動会の醍醐味なんです」
「ふーん。そいつはいいな」
「桜、見てみますか?」
「いいのか?」
「小学校に入るのは無理ですが、すぐ側の桜山神社なら。校庭だけではなく、そちらでもお昼ご飯は取るんですよ」
「そうか」
本殿の階段から立ち上がり……
停めてあったアクシスに向かう相沢さん。
「相沢さん?」
「ほれ」
渡されるタンデム用のヘルメットに困惑します。
「スクーターで行くんですか?」
「ああ、幸い……」
私の足下を見て。
「ちゃんとした靴だしな」
確かに、お正月など、行事の時はともかく、普段のお手伝いの時は普通の靴を履いている事も多いのですが。
「まぁ、股のある袴をはいていますから、乗ることはできると思いますが……」
「股のある?」
「元々巫女装束の袴は馬乗袴のようなズボン状のものだったのですが、明治以降はスカート状の物が主流になりまして…… 私が今はいているような股のある物は今時珍しいんですよ」
「ふぅん?」
結局、相沢さんからジャケットも借りて、無理矢理巫女装束の上から重ねて。
スピードを出さないと約束した上で、相沢さんのアクシスのタンデムシートに相乗りしたのですが。
「天野、そんなに必死にしがみつかなくても……」
「怖いんです!」
こんな巫女装束を着たままスクーターに乗るなんて、私には初めてで。
いつもきちんとした格好で乗っているだけに、巫女装束の生地の感触が頼りなくて怖くって。
「……ダメ、ですか?」
恐る恐る聞くと、急に相沢さんの身体が強張って。
「……反則、だぞ」
「えっ?」
「何でもない。しっかりつかまってろ」
「は、はいっ」
「あ、そこ右です」
しばらく走ると身体の強張りも取れて。
相沢さんに道を指示することもできるようになりました。
「それにしても、よくこんな急坂通って小学校に通うよなぁ」
「城跡ですからね。あ、卒業生からはマラソンの国際ランナーも出ていますよ。毎日通っている内に自然と体力が付くようで」
「そいつは納得だな」
そして無事、桜山神社に着きます。
「……壮観、だな」
「ええ、元々は、城の付属施設があった場所なのだそうですが、今では200本を越える桜が植樹されているそうです」
スクーターを降りて、相沢さんと二人、桜の中を歩きます。
一面の桜に覆われた公園は、本当に綺麗で。
「人、居ないな」
「平日ですし。あの坂を登らないといけないので、訪れる人は少ないのですよ」
「納得、だな」
桜に囲まれたベンチに二人、腰掛けます。
「綺麗ですね」
「ああ、怖いくらいだ。桜の花の下には死体が埋まっているって……」
「あながち、それも間違いじゃないですよ」
「何?」
「元々、この桜山神社は、戊辰戦争の犠牲者を祀るために建てられたもので、桜はその象徴なんですよ」
「……そうか」
答える相沢さんの身体が不意に倒れ込んできて。
ぽふって。
「あああ、相沢さん?」
私の膝の上に頭を載せて上を見上げ。
一面の桜に目を細める相沢さん。
「本当に綺麗だ」
さしのべられた手は、舞い散る桜の花びらを掴もうとしたのでしょうか。
でも、その手は空を切って私の頬に。
「相沢さん?」
「綺麗すぎて、天野がどこかに行ってしまいそうな気がして怖い」
「……桜の花が咲く場所には、異界への入り口があると言いますからね。でも私はどこかに行ったりはしませんよ。むしろ、相沢さんの方が……」
「それが、もし、天野の『あの子』の所に通じているとしても?」
「………」
私は今、どんな表情をしているのでしょうか?
相沢さんの瞳は真剣で、
「……行けないですよ」
答えは、自然と出ました。
だって昔の、何もかもを拒絶していた、独りで居た私ではないのですから。
この膝の上に感じる重さは、頬に感じる確かなぬくもりは、私をこの世界にしっかりと繋ぎ止めていて、
「行けるはずがありません」
こんな風にしておいて聞くなんて、卑怯だな、とも思いましたが。
「そっか」
と、それだけ言って、手を離し。
少しだけ微笑んで目をつぶる相沢さんに、私は何も言えなかったのでした。
ひらり、ひらりと私達に降り積もる桜の花びら。
桜が死後の世界に通じているというのなら、いずれは私も桜の元で眠りにつき、そこに行くことになるのでしょう。
でも、それまでは、あの子にも待ってもらおうと。
そう思うのでした。
To be continued
■ライナーノーツ
天野本家の神社については、複数のモデルがあるのですが、その中でも主になっている場所が、秋田県鹿角市にある花輪城の館神だった八幡神社。
花輪城跡にある花輪小学校では美汐が口ずさんだ応援歌が伝わっていますが、これは旧海軍とか他の地方でも変形しながら伝わっているとか。