この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
 バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。



 事の始まりは、相沢さんから。
 以前、皆さんで行ったあの温泉に、もう一度行かないかというお誘いがあったのでした。
 途中、原付禁止の有料道路があるため、私のJOGや相沢さんのアクシスは使わず、倉田先輩のフュージョンと、秋子さんの用意して下さった車に分乗して、目的地を目指したのですが、

「佐祐理、ダメ」

 不意に、車に同乗していた川澄先輩が漏らした呟きに、顔を上げた私が見た物は……

 フュージョンのタンデムシートで、思いっきりハングオン、正確にはハングオフする倉田先輩の姿。

『うおおおおおぉっ!?』

 絶叫しながらコーナーに突っ込んで行く相沢さんの声が、無線越しに聞こえてきました。



美汐のスクーター日記
『倉田先輩と秘密のドライビングテクニック』



「さて、佐祐理さん、なぜあんなことをしたのか、聞かせてもらいましょうか」

 テーブルを挟んで対面の倉田先輩に問いかける相沢さん。
 この温泉の食堂、お勧めのカツ丼が二人の前に置かれている様子は、まるで例のアレ。

「刑事ドラマみたいですー」

 とは、栞さんのお言葉でしたが、確かに容疑者と取り調べを行う刑事の図、でした。

「ねえ、天野さん」

 私に声をかけられたのは、香里先輩でした。

「一体、何があったわけ?」

 そう聞かれて気付きます。
 スクーターの運転、そして二人乗りの知識が無いと、一体何がまずかったのか理解できないということに。

「ええと、2輪は車と違って、ハンドルではなく重心の移動で曲がるのだということは、ご存知でしょうか?」
「ええ、それは分かるわ。自転車も一緒ね」

 さすが香里先輩、理解が早いです。

「そして、二人乗りをする場合、パッセンジャー…… 後ろに乗る人は荷物のように重心を変えないことが要求されます。自然に、遠心力に耐えるようにする程度なら問題はありませんが、大きな重心移動を行ってしまうと運転している人間が予期できない挙動を車体に与えてしまいますから」
「その通りだ」

 そう答えたのは相沢さんでした。
 ……いつの間にか、私の声が皆さんの注意を惹いてしまったみたいですね。

「で、それを知っているはずなのに、何でまたタンデムシートでハングオフなんて真似をしたんです、佐祐理さん」

 皆さんの注意が倉田先輩に集中します。

「その…… 舞と乗っている時の癖でつい」

 ……って、そんな危険な真似を常日頃からやってるんですか。

「舞と佐祐理の必殺技なんです」
「佐祐理さん、必殺技って、必ず殺す技って書くの知ってます?」

 そう突っ込む相沢さんでしたが、

「おかげでこの辺では敵無し」

 あっさりと言い切る川澄先輩。
 よくもまぁ、そんな恐ろしいことを試すものです。

「力、使ったな」
「……最近は無しでも大丈夫」
「ってことは、お前でも使わなきゃならないほど難易度高かったのかよ!」
「コーナーは5つまで」
「それって5体とも使い切ってたってことか!?」

 ぼそぼそと、小声で言い合う相沢さんと川澄先輩。
 この場に居るのは、気付かずに流してしまうか、気付いても、何か事情がありそうだということを察して流してしまう人達ばかりですからいいんですけどね。

「今回も、こんなこともあろうかと、1体付けて置いたから」
「そりゃあ、一人、後ろによじよじしてたのは気付いてたが、それより先に佐祐理さん止めろよ」

 本当は、興味が無いわけではないんですよ。
 時折ちらついて見える、川澄先輩の面影を持った小さな、ウサギの耳を付けた不思議な女の子とか。
 今も相沢さんの膝の上でかいぐりされて笑ってますし。

 ともあれ、

「俺、よく生きてたな」
「怖かったですか?」

 私自身は、想像するだけで背筋に寒気が走るのですが。

「怖いなんてもんじゃないぞ。自分の意志じゃなく、車体が傾いて曲がって行くんだから」
「ふぇ、ちょっとやり過ぎちゃいました」
「ちょっとじゃないです。イン側のバックミラーに佐祐理さんの全身が写ってました」

 それは、恐怖です。
 と言いますか、あの状況でよくそこまで見る余裕がありましたね。
 やはり、事故などがあった瞬間は、瞬時に色々と対応をするため、時間がゆっくりと動いているように感じる、っていうやつなのでしょうか?

「俺にできたのは、とっさにアクセルを開けることだけだった」

 既にコーナリングのための重心移動は思いっきり行われ、車体も傾き始めている。
 だとしたら、ブレーキをかけても倒れるだけ。

「物理学的にも、バランスを取るために加速させたのは正解ね」

 そう仰るのはやはりと言いますか、香里先輩でした。
 それにしても、何でこんな真似を、と思った私に答えを下さったのは、倉田先輩の告白でした。

「きっかけは、地元のラジオで聞いた、サイドカーのレースをやっている方のインタビューでした」
「サイドカーって……」
「あ、道路を走っている普通のサイドカーじゃなくて、レース用のです。タイヤが3つ、っていうのは変わらないんですけど、レーシングカーみたいに車体が低くて平たいんです」

 モータースポーツとしてのサイドカーの特徴は、パッセンジャーが1本のバーを軸に、コーナーに合わせ移動して、その重心移動で曲がり、ドライバーはパッセンジャーを信頼してアクセルを空け、スピードを上げていくという、運転方法にあるそうです。

「二人の息がぴったり合ってないと乗れない乗り物なんです」
「それをやったと言うんですか、フュージョンで」
「はい。でも…… 舞も、祐一さんも、佐祐理のこと信じて、アクセルを開けてくれました」
「いや、俺のは、たまたま」

 もう一回やれって言われても絶対無理、と言う相沢さんでしたが、

「でも、佐祐理にはそれが本当に嬉しかったんです」

 と笑う倉田先輩に、言葉を失います。
 だって、本当に相手を信頼しきっている笑顔でしたから、それは。

 それを見た相沢さんが頭を抱えたのは、少し可哀想でしたが。

「あぅ〜っ」

 隣から聞こえて来る声に、難しい話で退屈させてしまったかな、と思った私は、真琴の顔を見てぎょっとしました。

「まさか真琴、自分も試して見ようなんて……」
「あぅ、ダメなの?」
「ダメに決まってるだろっ!」

 すかさず突っ込む相沢さんでしたが、更にその隣で、夢見るような表情で呟く栞さんに、顔を引き攣らせます。

「信頼しあう二人だからこそできる乗り方。ドラマみたいで……」
「素敵じゃないっ! そんなこと考えてるようじゃ、絶対に後ろには乗せないからなっ!!」

 絶叫する相沢さん。


 ちなみに、その後しばらく相沢さんは、神経質なほど背後に敏感になったというお話。

「あぅ、漫画に出てきた、殺し屋みたい」
「俺はゴルゴ某か!!」

 やれやれ、ですね。



To be continued



■ライナーノーツ

 佐祐理さんの真似だけは絶対にしないで下さいね。
 必ず事故ります。
 毎回、冒頭に載せさせて頂いている2行の注意書きは伊達ではないのです。
 それでもやりたいのでしたら、レース用のサイドカーに乗る道を、ぜひ目指して下さい。
 サイドカーネタは、ずいぶん前に頂いたリクエストと、ラジオでたまたま、レースをやっている方のインタビューを聞けたことが結び付いて、書くことができたものでした。

 なお、本編で出てきたレーシングサイドカー(レーシングニーラー)はマンガ「ああっ女神さまっ」原作18〜19巻および劇場版アニメに登場しています。
 主人公カップル(蛍一とベルダンディー)が息の合ったコンビネーションでダイナミックな走りを披露しており感動しますね。
 興味がおありでしたら見てみると良いかと。
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