この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。
「まさか、こんな所で草枕を結ぶことになるなんて……」
「おっ、漱石か? さすがは天野、文学も読むんだ」
「おだてても何も出ませんよ」
ため息なら出ますが。
「あぅ? くさまくらって?」
「うぐぅ?」
「それはだな……」
何事か言いかける相沢さんを、遮って答えます。
「野宿ってことですよ」
美汐のスクーター日記
『Feeling Heart』
「はぁ……」
相沢さんの「星を見に行くぞ」の一声で、夜の夜中に出かけることとなった私達でしたが、光害を避けるために山道に入ったのが運のつき。
確かに民家の明かり一つ見えないようにはなりましたが、代わりに道に迷ってしまいました。
ぐるぐると走り回っている内に、あゆさんのチョイノリのガスが切れかかり……
これ以上、暗闇の中を走り続けるのは無理ということに。
幸い、私の携帯は通じたので秋子さんの方に連絡はできましたが、こちらの現在位置が分からないのでは、助けを呼ぶのも無理。
結局夜が明けるのをこの場で待つということになったのでした。
「この土地の人ではない、相沢さんの案内を信じた私が馬鹿でした」
おかしいとは思ったのですけど、気付くのが遅すぎましたね。
「いや、やっぱ夜道ってのは昼間と勝手が違ってな……」
「それは、そうですが」
「俺のアクシス、天野のZRと違ってライト弱いし」
最近は50ccスクーターもライトが強化され、40Wのハロゲンランプが普通に装備されるようになりましたが、相沢さんのアクシスは原付二種であるにも関わらず設計が古いのか35Wのままです。
普段は気にならないのでしょうけど、こういった外灯のない夜道を走るとなると、その差は歴然とします。
「そもそも供給側が弱いからなぁ。ウィンカーやブレーキランプが点灯すると、その分暗くなる気がするし」
それ、気のせいじゃありません。
まぁ、一昔前のスクーターには、メインライトがフォグライト(霧に強いと言われる黄色い……でも暗いやつです)というものもありましたし、それに比べればマシとは思いますが。
……ちなみに、あゆさんのチョイノリは最初から比較対象外です。
「うぐぅ」
「はぁ……」
春になったとはいえ、夜は冷え込みます。
幸い、スクーターには雨具を積んであったので、それを着込んで……
「そういうとこ、天野は準備いいよな」
「相沢さんは、持ってきてないんですか?」
バイク乗りにとって、雨具は時に防寒具にもなります。
風をきって走ると体感温度は10度も下がると言いますし、山に登ったり、今回みたいに夜になったりしますと更に気温は下がりますから。
遠出の際は、出来る限り持った方が良いでしょう。
「なら、これを」
着込もうとしていたレインコートを、相沢さんにお渡しします。
「ロングコート型ですし、サイズは大きめですから、相沢さんでも着れると思いますよ」
「いや、それじゃあ、天野が……」
「いいんですよ」
くすりと笑いが漏れます。
「相沢さんにはこれを着た上で、お願いしたいことがありますから」
「?」
というわけで……
「あぅ〜♪」
「うぐぅ……、恥ずかしいよ」
「大人気ですね、相沢さん」
「むぅ……」
今夜の寝床に選んだ大きな広葉樹。
そこに腰を下ろし、幹に背中を預ける相沢さんの左右にあゆさんと私。
膝の間に真琴です。
グランドシートの代わりに、相沢さんが着込んだレインコートの裾を広げ、そこに座る訳なんですけど、そうするとこの形しかありません。
「これが一番、寒くないですから」
真冬のものみの丘で、野宿を決め込もうとしたこともあるという真琴はともかく……
私も相沢さんも寒さに弱いですし、あゆさんはあゆさんで、極度の怖がり。
ここは、身を寄せ合うのが正解でしょう。
「天野、顔赤いぞ」
「引っかかりませんよ。こんなに暗いのに、分かるわけが無いです」
「ぐぅ……」
何しろ、誰も懐中電灯を持っていなかったため、私がキーケースに留めていたミニダイオードライトだけが光源という状態なのですから。
……大体、暗くて顔色が分からないような状態でもなければ、こんな恥ずかしい真似できませんよ。
「あぅ、なんかいい匂いがする」
相沢さんの胸に頭を預けてご満悦だった真琴が、ふと鼻を鳴らしました。
「あ、そうでしたね。忘れるところでした」
風よけと、エンジン、マフラーの余熱による暖房を兼ねて傍らに停めていたZRに手を伸ばします。
かさかさと音を立てる紙袋から、目的のものを取り出して、
「肉まん〜♪」
子供のようにかぶりつく真琴。
ふふ、可愛らしいです。
相沢さんとあゆさんにもお渡しします。
「うぐぅ、暖かいよ」
「暖かい? 天野?」
あ、気付かれましたね。
そう、途中のコンビニで肉まんを買ってから、だいぶ経っています。
本当なら、冷え切っている所。
「ZRのマフラーに乗せて、余熱で暖めなおしたんですよ」
店員さんが紙袋に詰めてくれたので、そのまま乗せることができました。
湯気で内側が丁度良く湿っていて、袋が焦げることもなく、蒸し上げるように暖め直すことができましたね。
私のZRは、マフラーの過熱防止のために純正のカバーを外して小型の物に替えてあるのですが、それが思わぬ所で役立ちました。
「タイヤキも買っておけば良かったよ」
そう仰るのは、あゆさん。
コンビニのタイヤキは本当のタイヤキじゃないと言って、買わなかったんですよね。
タイヤキなら、もっと簡単に暖められそうです。
元々鉄板の上で焼くものですし、あまり焦げるのを気にしなくてもいいでしょうから。
アルミホイルで巻いたおにぎりや、昔ながらのアルマイトのお弁当箱でも良さそうですね。
「あ……」
真琴?
不意に聞こえた小さな呟きに真琴の方を伺うと、真琴は肉まんから顔を上げ、あんぐりと口を開けていました。
今にも肉まんを落としてしまいそう。
こんな真琴の表情、初めて見ました。
そうして、真琴が見つめている先、そちらに目線を移すと……
「あっ……」
「むぅ……」
「うぐっ」
満天の、星空がありました。
吸い込まれるような夜空いっぱいに、光り輝く星々。
そうです。
迷子騒ぎで、すっかり忘れていましたが、そもそも星を見るために私達はスクーターを走らせたのでした。
「天の川って、本当にあったんだ……」
あゆさんの、耳にしただけでは意味不明な呟きにも、思わず頷けてしまいます。
無数の星々が形作る、凄い密度の光の帯。
照明に邪魔され、1〜2等星ぐらいしか見れない街中では、絶対に見ることの出来ないものです。
こんな光景が夜空に広がっているということ、現代人の大半は知らないのではないでしょうか?
「光害が全く無いって凄いな…… 肉眼でこれだけ見れるのも珍しいぞ」
相沢さんも、感心したように仰います。
「普通、星が見えなくて、星座を探すのが難しいんだが…… 逆に星が多すぎて星座が見つけづらいな」
北斗七星がアレで、アルクトゥルス、スピカ…… そう呟く相沢さんでしたが、すぐにまぁいいか、と投げ出してしまいます。
それだけ、この光景が素晴らしいということですが。
「今日は風が強かったので、空気が澄んでいるんですね」
「ああ、その代わり冷えるけどな」
「相沢さん……」
それはそうですけど、せっかく感動しているのですから、思い出させないで欲しかったです。
ぶるっと身体を震わせると……
「あ……」
肩に回される、相沢さんの手。
腕の中から窺いますが、相沢さんは夜空を見上げたまま知らんぷりで。
……無理しないで下さいね。
指先が冷えてしまわないよう、相沢さんの掌を、両手で包み込む私なのでした。
To be continued
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