この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
 バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。



「あゆー、チョイノリ借りるぞー」
「うん、いいよ、祐一君」
「おう、さんきゅ…… んあ?」
「? どうしたの、祐一君」
「相沢さん?」
「ゆ……」
「ゆ?」


「ゆるゆるだっ!!!!」



美汐のスクーター日記
『ゆるゆるです』



「うぐぅ……」

 相沢さんにいきなり怒鳴られ、あゆさん、涙目になってます。

「一体どうされたんですか、相沢さん」
「おう、天野。これを見ろ」

 相沢さんが示されているのは、あゆさんのスクーター。
 チョイノリのブレーキです。

「一体何を……」

 そう言いかけて、とある可能性に思い至り、ブレーキレバーを引いてみます。

「ゆ……」
「み、美汐ちゃん?」
「……ゆるゆるですね」

 確かに。

「あゆさん……」
「あーゆー」
「うっ、うぐぅ!?」

 私達の視線を受けて、怯むあゆさん。
 そして、相沢さんの雷が落ちました。

「ブレーキの遊びぐらい調整しろっ!!」


「全く、ドラムブレーキなんだから簡単だろ。手でナットを締め込むだけなんだから」

 そう言いながら、前ブレーキを調整して見せる相沢さん。
 適度な遊びを持たせた上、フロントタイヤを持ち上げて回し、引きずっていないことを確認します。

「そら、後ろはあゆがやってみろ」
「う、うん……」

 おっかなびっくりといった様子で、ブレーキの調整ナットを回すあゆさん。

「どっち回してるんだ、時計回りだ、時計回り」
「うぐっ」

 緩めてどうするんですか……
 とはいえ、機械をさわったことのない女性にしてみれば、無理のない事かも知れません。

「相沢さん、もう少し優しく……」

「だから無理だって!!!」

 はい?
 ……って、あゆさん、今度は締め込みすぎです。

「それ以上締まるか! 大体、ブレーキ引かなくてもかかっちまうだろ。どうやって走る気だ!」
「うぐぅ」

 はぁ、仕方ないですね。



 ……とにかく、試行錯誤しながら何とか調整が終わりました。

「何で、ドラムブレーキの遊び調整ごときでこんなに手間取るんだ……」
「うぐぅ」

 疲れた様子の相沢さんと、いじけるあゆさん。

「でも、これであゆさんもブレーキ調整ができるようになりましたし」
「まぁ、そうだな。こうやって一つ一つものにして行くんだぞ、あゆ」
「うん……」

 実際、ドラムブレーキの遊び調整一つ取っても、奥が深いものです。

「相沢さんは、比較的多めに遊びを取るんですね」
「ああ、ブレーキを引きずりたくないのもあるが、フィーリング的に、少し余裕があった方が合ってるからな。天野はかなりタイトにセッティングするんだよな」
「ええ、握力に自信がありませんから。少しでも早く、強く効くようにと思いまして。もちろん、クリアランスの維持にはシビアにならざるを得ませんから、こまめな調整が必要になりますが」

 という具合で。
 微々たる違いかも知れませんが、こういうことには、自分のライディングスタイルも関わってきます。
 そういった意味では、影響は結構大きいのです。
 プロのテストライダーは、試乗を行う前には必ず自分に合わせてセッティングを変えると言いますし。

「あと重要なのは、タイヤのチェックですね。原付は非力ですから影響は大きいんですよ。特に空気圧が低いと、路面抵抗が増えてトップスピードや加速などが落ちますから」
「そうだな。逆に入れすぎると今度はグリップが落ちるから、なるべくエアゲージで規定通りになっているかチェックしておいた方がいい」

 慣れてくれば、自分の好みに合わせて空気圧を調整するのも手なのですが、あゆさんにはまだ早いでしょう。

「ちなみにあゆ、自分のスクーターの適正空気圧、覚えてるか?」
「う、うぐぅ……」
「大丈夫ですよ、あゆさん。車体に書いてありますから」
「あ、これ?」
「エアゲージは、自動車用のものがそのまま使えます。ダイアル型が多いですが、スクーターの場合、タイヤ径が小さくバルブ周辺が狭いことから、スリムなペンシルタイプの方が向いてますね」

 一番良いのはホース付きのダイアル、もしくはデジタルメーターですが。

「こうやって一つ一つ覚えていくことで、本当の意味でチョイノリがお前のものになるんだ」
「ボクのものに?」
「そうだ。チェーン張りとか難しいことは、最初はバイクショップに任せるのが安全だけどな」
「そうですね、ショップの方にお願いして、作業の様子を見させていただくといいです。そうして手順やこつを覚えて、自信が出たら、自分でチャレンジすればいいと思います」

 実際、私もそうやって覚えていったものですし。

「他にも燃費や、エンプティランプ…… チョイノリで言えば、リザーブに切り替えてから何キロ走れるかとか。日常乗っていることで、覚えていくことも多いんですよ」
「でも、チョイノリにはスピードメーターしかないから、どれくらい走れるかなんて……」

 困惑した表情のあゆさん。
 それは確かに、あゆさんのチョイノリにはオド……走行距離計は付いていませんが。

「そうですか? 例えば、時速30キロで10分間走れたなら、5キロは走れるということですよね」
「あっ……」
「他にも、後からでも良いので地図で調べるとか、距離の書かれた標識を参考にするとか、色々と方法はあります。こうして実績を把握しておけば、次からは焦ったりせずに、ガソリンスタンドに行くことができるわけです」
「うぐぅ、そうなんだ……」

 頭を使って走っていれば、後から色々と役立つということですね。
 ちなみに私自身、オド無しの走行は何度も経験しています。
 以前、私が乗っていたJOGスポーツでは、伝達ワイヤーがよく折れてメーターが沈黙しましたから。
 この辺は、無ければ無いで、人間、工夫して何とかするものですね。

「チョイノリはシンプルで自分で見たりさわったりできる所が多いだけ、分かりやすいと思いますよ。最近のスクーターは、さわれる部分がどんどん減っていますから、便利な反面、逆にやりづらい所があります」
「そうなの?」
「はい。例えばエンジンオイルですが、昔は足下の点検口を開けて、残量を直接確認することができました」

 JOGスポーツを思い出しながら説明します。

「所が今のマシンは、そうやって直接確認する手段がありません。その代わりオイルタンクの容量が増えて、エンプティランプが点灯したら丁度1リットルのオイル缶を丸ごと入れられるようになっています。もちろん、エンプティランプが点いてもしばらくは走れますので、その間に補給すれば良いという考え方です」

 これはこれで簡単で便利とも言えます。
 特に、エンジンオイルの補給をショップやガソリンスタンドで済ませているライトユーザーならなおさらです。
 まぁ、ガソリンスタンドでは安物のオイルしか入れてくれませんので、本当なら非常時以外は利用しない方が無難なのですが。

「しかし以前なら残量を見て予め補給できたものが、エンプティランプが点き始めるまで減り具合が分からないわけですから、これが夜間の長距離走行中など、おいそれと補給ができない状況だったりしますと、本当に困ります」

 残りがどれだけあるかも見れないわけですからね。
 結局、前回の実績と走行距離から推測して、余裕を持って補給するしかありません。
 ただ、オイルをつぎ足すにもタンクが見えないのでは、溢れさせてしまう怖れがあるわけで。
 バイクショップの店員さんは、給油口の周囲を覆うカバーを取り外して、タンク上部が見えるようにしてからやっていましたね。
 作業を見学させていただくと、こういったことを覚えられるというメリットがあります。

「うぐぅ、エンジンオイルなんて、ボク、入れたことがないよ」
「……例えが悪かったですね。あゆさんのチョイノリは4ストエンジンですから、エンジンオイルは補給ではなく交換になります。ショップの方にお願いして……」

 そして、ふと思い当たります。

「あゆさん、初回点検、受けましたよね?」
「えっ?」
「あゆ、お前まさか1000キロの初回点検、やってもらってないのか?」

 バイクは普通、乗り始めの1000キロ、もしくは1ヶ月で初回の点検を受けることになっています。
 まぁ、チョイノリの場合は、1ヶ月で1000キロ乗ろうとしたら大変なので、もっと短い距離で構わないのかも知れませんが……

「うぐぅ…… だ、だって、何キロ走ったかなんて分からないよ」
「お前なぁ、天野の言ったこと少しは応用してみろよ。オド…… 走行距離計が無くても計算できるだろ」
「うぐぅ?」
「チョイノリは3リットルの燃料タンクで、燃費はどう考えてもリッター30、いや40キロは行くんじゃないか? 1回の給油でまず100キロは走れるだろう」
「うん……」
「つまり10回以上、ガソリンスタンドに行ったら、1000キロ越えてるってことだろうが!」
「あ、そっか…… うぐぅっ!?」
「どうしたあゆ!」
「もう10回行ってるよ、ボク!」
「んなことは、最初から分かっとるわ!!」

 何しろ購入されてから大分経ってますし、私達とツーリングにも行ってますからね。

「まぁ、今からでも構いませんから、早めに行きましょう」

 今更焦っても遅いですし、それぐらいで壊れるようなバイクを国産メーカーが作るはずもありませんが、早めに受けるに越したことはないでしょう。

「……4ストなら、確実にオイル交換してくれるでしょうしね」

 私のZRのような2ストでも、トランスミッションオイルなど交換を要する油脂類はあります。
 ただ、4ストのエンジンオイルほど重要でないためか、1万キロの点検時に実施することにして、初回点検ではやらずに済ましてしまうお店もあるため注意が必要です。
 たった1000キロでも、走り始めは部品がなじんでいないため、オイルは結構汚れます。
 私のZRでも、初回点検時には真っ黒になっていましたし、やはりオイル交換は実施しておいた方がいいです。

「うぐぅ。祐一君、美汐ちゃんっ、早く!」

 はい? 私達も行くんですか?
 でも今日は、ZRに乗ってきていないので足が無いのですが。

「焦ってもバイク屋は逃げないぞ、あゆ」

 仕方がない、とでも言うように腰を上げる相沢さん。
 そうして、私に向かって手を差し伸べます。

「たまには天野も俺の後ろに乗るか?」
「えっ? 相沢さんのアクシスにですか?」
「ああ」

 そうですね……

 少し、考えてから答えます。


「たまにはそれも、いいかも知れませんね」



To be continued




■ライナーノーツ

 美汐が使っているエアゲージがこちら。

 タイヤは生もの。
 空気圧次第で燃費やグリップ性能は変わりますからね。

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