この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
 バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。



My grandfather's clock was to large for the shelf,
So it stood ninety years on the floor;
It was taller by half than the old man himself,
Though it weighed not a pennyweight more.


 あ……

「この曲……」
「アメリカ民謡の『Grandfather's Clock』ね」

 百花屋のテーブルを挟んで……
 私の呟きに答えて下さったのは、美坂香里先輩。

「大きな古時計の原曲よ」

 コーヒーカップをソーサーに戻す。
 そんな何気ない仕草も、この人がすると洗練されて見えました。



美汐のスクーター日記
『Grandfather's Clock』



It was bought on the morn of the day that he was born,
And was always his treasure and pride.


「これが、そうなんですか」

『大きな古時計』
 元々は英語の歌だと聞いていましたが、実際に原曲を聴くのは初めてです。

「ええ、1870年代の作品だったかしら。詩の内容は、大体日本語のものと同じ…… いいえ、日本語の詩の方が原曲に忠実と言うべきね」

 さらりとそんな知識が出てくるところが凄いです。
 確か先輩は、学年主席でしたか。
 栞さんがお姉さんのことを自慢されるのも、分かる気がします。


Ninety years without slumbering
Tick, tock, tick, tock,
His life seconds numbering,
Tick, tock, tick, tock


「……? 百年じゃないんですね?」
「そうね、ヒアリングは得意?」
「いえ、そういうわけではありませんが」
「うちの栞だったら気付かないわよ」
「そんなことは……」

 でも栞さんのこと、とても楽しそうに話されるんですね。

「この辺は、語感の関係で100年にしたみたいね」
「……言われてみれば、そうですね」

 90年では、ちょっと合わないようです。

「他にも微妙な所が違ってるわ。花嫁さんが来たときに24回も鐘を鳴らしたりとか」
「へぇ……」

 英語の時計の方が、少し可愛い気がしますね。


But it stopp'd short, Never to go again,
When the old man died..


「………」
「……どうしたの?」
「えっ?」
「少し…… 哀しそうな顔をしているように感じたから」
「あっ……」

 いけません。
 先輩に心配をかけてしまいました。
 少し慌てて、笑顔を作ります。

「いえ、そんなことはありません。少し、前に乗っていたスクーターのことを思い出していただけです」
「前の……ああ、噂の赤と黒の」
「……先輩まで知っていらっしゃるんですか?」

 落ち込んでしまいます。
 ……まぁ、それはともかく。

「以前のスクーターを最後に修理に出したとき、ちょうどこの曲を耳にしたんです。そうしたら、色々な思い出が浮かんできて……」

 父が、買ってきた日のこと。
 あの子を獣医さんに運ぶため、初めて乗った時のこと。
 色々な場所に行ったこと。

 今思えば、無茶なこともしましたし、実際、派手に転んだこともありました。
 雪に降られて凍り付きそうになったり、
 お財布を忘れて、辛うじてポケットに入っていた500円玉を、あの子と私とスクーターとで分け合っておなかを満たしたり。

 あの子との思い出と共に…… あのスクーターはあったんですね。

「結局、歌の通り動かなくなってしまったわけですが……」

 そう答える私は今、どんな表情を浮かべているのでしょうか?
 あの子と……
 そして私の無茶に応えてくれたスクーターの為にも、笑顔で居られればいい。
 そう思うのですが。

「そう……」

 先輩は言葉少なに、でも柔らかく私に微笑んでくれました。


But it stopp'd short, Never to go again,.....


 私の部屋の壁には、今でも……
 古いスクーターのマスターキーと、少し傷ついた狐のキーホルダーが掛かっています。



To be continued





■ライナーノーツ

 ちょうど、平井堅さんの「大きな古時計」のカバーが流行っていた頃に書いたお話だったと思います。

 なのになぜ英詩の原曲を使っているかというと、日本語訳詩はJASRACが管理して使えないからですね。

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