この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。
「ちぃぃっ、振りきれねぇっ!」
キュキュキュキュキュ! ゴッ!
「ストレートで突き放しても、コーナーで詰められるだとっ! くそっ、悪夢だぜ。一体何者だ!」
ガコッ、ゴウッ!
「っ!?」
キュッ! コオォォォォォッ!!
「なにぃ!? こいつは、まさかあの!!」
美汐のスクーター日記
『最速伝説?』
私のことを知っている方々からは、意外に思われるかも知れませんが……
私は、原付スクーターを使っています。
両親と離れて暮らす私が使える、唯一の足。
それが父から譲られたスクーター、YAMAHA、JOGスポーツだったのです。
黒と赤の限定カラー、というものらしいこのスクーター。
10年以上前の型であることもあって、同じ色のものには出会ったことがありません。
駐車場で見間違うこともなく気に入っていたのですが、さすがにあちこちにガタが来て、修理するより買い換えた方が得というような状態になってしまいました。
両親からは十分な仕送りをもらっていますが、無駄に使って良いというものではないでしょう。
思い出深いこのスクーターに未練もありましたが、私はアルバイトで貯めた貯金を取り崩して、新しいスクーターを買うことにしました。
買い替えを決意した私でしたが、現在スクーターは排ガス規制のため軒並みパワーダウンしていて、カタログ上は10年前のJOGスポーツの方が馬力(古い言い方ですね)があることになっています。
唯一、SUZUKIのZZ(もうセピアとは呼ばないようです)だけは、規制前の7.2psをキープしているようでしたが、YAMAHAは6.5ps、HONDAはそれ以下(4ストへの移行をメインに展開している)と言う状態。
私は無闇にスピードを求める人間ではありませんが、やはり車に混じって流れに乗るには、車を軽くリードできるような加速、パワーは必須でしょう。
特に、奥まったこの地で日常的に峠とトンネルを抜けて走るような体験をしていると、上り坂でのパワーの必要性等が身に染みて分かるようになります。
(そう言う意味では、パワフルなJOGスポーツはとてもいいスクーターでした……)
さて、買い換えるならZZかと思いましたが、ZZにはオプションの中に、リアキャリアが見あたりません。
足をスクーターに頼り切っている自分にとって、リアキャリアは欠くことのできない装備です。
そうなると、自動的に次点であるYAMAHAのJOGに白羽の矢が当たることになります。
バイクショップの方のお話では、最高出力でのスペック値は負けていても、中、低速域での加速性能が良くなっているため、トータルではZZはともかくJOGスポーツには負けていないとのこと。
まぁ、ZZは大柄な分、JOGより10kgも重いというウェイトハンデがありますし、今のマシン以上の性能があるならということで自分を納得させました。
現行のリモコンJOG系の車両は、全て6.5psのエンジンに、フロントディスクブレーキ、ワイドタイヤ装備となっています。
ただ、スペック上は同じとは言え、やはり最上級のZRは足回りが違いますし、エンジンも加速重視のセッティングとなっているようです。
そういうわけで、部品泥棒に狙われやすいというリスクを勘案しつつも、ZRを選ぶことにしました。
カラーは、防犯の面から、大人しめの白を選択。
白は傷や汚れが目立たないというメリットもありますし、夜間目立つので事故率も低いようです。
オプションについては、運搬能力を重視し、フロントにカゴ、リアにキャリアを付けることにしました。
フロントのカゴはあまり格好良くないかも知れませんが、メットインに入りきらない荷物の運搬に便利です。
(あまり大きな荷物を積むとライトが遮られるため、夜間走行時には注意が必要ですが)
また、対人の事故時には、クッションの役割を果たすという面もあります。
リアキャリアの方は、リモコンJOG用のものをリアスポイラーを外して取り付けることにしました。
リアスポイラーの上に取り付けるZR専用キャリアもありますが、何より反り返っているリアスポイラーの形状そのものが恥ずかしいので。
目立つし、部品泥棒のターゲットになりそうなリアスポイラーは防犯面からも取り外して置いた方が良いでしょう。
クリアーウィンカーやエンブレムなども取り外して、リモコンJOGと同じにしたい所ですが、これは実際に盗られたら替えると言うことで納得。
なお、リモコンJOG用キャリアは樹脂製で、錆つくおそれがありません。
また、純正品のU字ロックを収納できるようになっているため、これも合わせて購入することにしました。
U字ロックの色は迷わず蛍光イエローを選択。
犯罪防止のためには、鍵の類は目立つ色の方が良いのです。
(これはバイクショップの方からも言われました)
一緒にバイクカバーも勧められましたが、買い物の足として日常使うのに、かけたり外したりするのは面倒なため、今回は見送り。
まぁ、保管場所が敷地内の外から見えない場所なので、問題は無いだろうという判断です。
部品泥棒に遭ったら購入を考えることにします。
私は、基本的にスクーターを改造することには消極的です。
バイクはトータルバランスが大事で、安易な改造はそれを崩すことに他なりません。
また、信頼性という点でも改造車は大きく劣ることになりますし、確実に扱いにくくなります。
とは言うものの、今回は一箇所、CDIだけは交換することにしました。
交換は簡単で、私にもできます。
フロントカウルは前のマシンでもよく開けていましたし(JOGスポーツは、スピードメーターへの伝達ワイヤーがよく切れて交換が必要になりました)純正品と取り替えるだけなので、楽なものです。
そして……
「……読んだのですか?」
声が冷えて行くのが自分でも分かります。
私の雑記帳。
新たに買ったスクーターの備忘録として記録を取り始めたものです。
「あ、いや、真琴が意味が分からないから読んでくれって持ってきたんだ。まさか天野のものとは思わなくて、読んだ後真琴に聞いたら、部屋にあったって」
慌てて弁解する相沢さん。
「昨日、天野さんが遊びに来てたから、忘れて行ったんじゃないかって思ったんだよ」
名雪、さん? まさか……
「いや、リビングに居たところに真琴が来たから……あゆや秋子さんも居たぞ」
……そんな酷なことはないでしょう。
「なぁ、天野さん……赤と黒のJOGって、もしかして、『下り最速』の『赤と黒』じゃないのか?」
しばらくして遠慮がちに聞いてきたのは、相沢さんのクラスメイト、北川さんでしたが……
はい? 何ですかそれは?
「聞いたことがあるんだ。この辺の峠で最速と言えば、赤と黒のJOGだって」
「おいおい、何だよそれ……」
「いや、時々、走り屋の背後に張り付くバイクが居るらしいんだ。ストレートで突き放しても、コーナーで必ず追いつかれる。どんな奴なのかと注視すると、実は赤と黒のスクーターだって」
「いや、だって原付だぜ」
「ああ、だがこの辺の峠は中低速コーナー主体のテクニカルコースだ。その上、下りならパワー差も埋まる」
「……人違いです」
「けど、天野さんだって、同じ色の車体は見かけたことがないって」
「……北川先輩、私の年齢をお忘れですか?」
「おお、そう言えば天野、いくつになったんだ?」
ここぞとばかりに混ぜ返す相沢さん。
とても嬉しそうです。
この人は……
「……みなさんの一つ下です」
「なにっ、そうなのか!? ……って、どうした天野、ため息なんかついて、おばさんくさ「物腰が上品と言って下さい」……うぐぅ」
セリフを途中で遮られ、いじける相沢さん。
「とにかく、私はこの冬に免許を取ったばかりです。そんな噂、立つわけがありません」
「そ、そうか……確かに赤と黒のJOGが現れたのは2年前からだからな。でも、天野さんの親父さんのスクーターなんだろ、もしかして親父さんが伝説の人なのかもな」
「スクーターに乗っている父の運転は、よく知りませんが…… もしかしたら、そうなのかも知れませんね」
「なぁ、天野。お前の両親って、確か天野が中学の頃、仕事のためにここを離れたんだったよな」
「……それが何か?」
やはり、気付かれましたか。
学校からの帰り道、二人きりになった所を見計らったように聞いてくる相沢さん。
「赤と黒のJOGが現れたのは2年前から。天野の親父さんが噂の人物だと仮定すると、話が合わなくなるな」
「………」
「で、天野は何年前に免許を取ったんだ?」
「二輪の免許は16歳からです」
「いや、だから何年前……」
「相沢さん……」
「分かった、俺が悪かったから、そんな顔で睨まないでくれ。 ……ちょっと質問を間違えただけだ」
にやりと笑って、
「天野、お前何年前からスクーターに乗ってるんだ」
「………」
「ちなみに俺は中2の頃だったな」
「相沢さん!?」
「まぁ、若気の至りってやつだ。今はちゃんと二輪免許まで持ってるぞ」
……やはりかないませんね、この人には。
「それにしても、『下り最速』の『赤と黒』とは、なかなかやるな、天野」
っ!
「そっ、その恥ずかしい名前、出さないで下さいっ!」
「真琴や栞辺りが喜びそうだな。 ……漫画やドラマみたいで素敵って」
「相沢さん!?」
真琴や栞さんにばらされたりしたら、それこそ身の破滅です。
耳にしただけもこんなに恥ずかしいのに、根ほり葉ほり聞かれたりでもしたら、私は確実に悶死します。
こんな、ホントに漫画みたいな噂が立っていたなんて……
「そうだな、これからは『赤と黒』の伝説は終わり『白き追撃手』の伝説が始まるんだからな」
「……っ!!」
でも、この時、私はまだ知らなかったんです。
本当にその通りの恥ずかしい名前が、噂に上ることになるなんて……
To be continued
■ライナーノーツ
美汐が唯一ノーマルから替えたパーツが、CDI。
エンジンに対し最適な点火タイミングを与えるチューニングパーツ。
なお、副作用として原付についている60キロ制限のリミッターが解除される。
この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。