「はい、水瀬です…… あら、姉さん?」

 夕刻、子供達の帰宅を待っていた秋子が受けた電話。
 それは姉…… 祐一の母親からのものだった。

「ええ、変わりないですよ。それで……」

 簡単なあいさつから、お互いに近況を話し合って……
 いつも通りのことだったはずだが、不意に呆れ声で、こう言われた。

「何かいいことでもあったの? 初めて恋人が出来た時より酷いわよ」



『本当のぬくもり』



 姉は昔から鋭いところがあって、両親も気付かない秋子の変化をいつも見抜いていた。
 その姉の言うことなのだから確かなことなのだろうが、秋子には全く覚えが無かった。
 色恋沙汰など、自分には……
 気のせいじゃないかしら、と返しつつも、しかし、いいことと言えば一つだけ思い当たる節があった。

「そういえば、祐一さんがお皿洗いを手伝ってくれたんです。それで……」



「はい、祐一さん」
「はい」

 キッチンで肩を並べ、秋子が洗った皿を拭いていく祐一。
 そうして、ふと気付く。

「あれ、秋子さん。お湯、使わないんですか?」

 水瀬家のキッチンには給湯器から配管が伸びていて、望めばいつでも温水が使えるようになっていた。
 雪国の冬、水道水は刺すように冷たく、流水に手を晒すと骨まで響くような痛みを感じるほどである。
 祐一が寒さに弱いことを差し引いても、お湯を使わないでいる理由が分からなかった。

「はい、お湯を使うと肌が荒れますから」
「えっ?」

 一瞬、考え込む祐一。
 秋子の言葉を頭の中でかみ砕いてみるも、やはり意味が分からない。

「えっと、逆じゃないんですか?」
「ふふ、お風呂とプール、どちらが早く指がふやけますか?」
「ああ……」
「つまり、そういうことです」

 なるほどと納得したところで、秋子の手元を覗き込む祐一。

「秋子さんの手、きれいですもんね」
「あらあら、そんなことありませんよ。気を付けてはいても、やはり水仕事をするわけですから、それなりに……」

 そう言いながら、皿洗いを終えた手を隠すかのようにタオルで拭くのは、秋子といえどもやはり面と向かって誉められたのが恥ずかしかったのか。
 だが、そうやって何でもない振りをする秋子に、祐一は笑顔でこう言ったのだ。

「何言ってるんですか、そういうのを『きれいな手』って言うんじゃないですか」

 と……



「あの天然馬鹿、自分の叔母を口説いてどうするのよ……」

 まるで「恋人のことを話す初な少女」といった様子の秋子に、脱力してしまう相沢母。

「姉さん?」
「……何でもないわ」

 ……こっちはこっちで、完全に墜とされてるの、気付いていないし。
 私、のろけられているのかしら?

 しかし、そんな姉の様子にも気付くことなく、秋子の話は続く。

「それだけじゃないんです。実は……」



 ある日、名雪が言うところの『ねこのトラック』が祐一宛に大きめの荷物を運んできた。
 送り主の住所を見ると、祐一が以前暮らしていた街のもの。
 学校から帰ってきた祐一に問うと案の定、以前の街の知人に頼んでおいたものだという。

「ちょっとした貸しのある知り合いが居て、安く譲ってもらえたんです」

 そう言いながら祐一が箱から取り出したのは、食器洗い乾燥機だった。
 取り付けて良いかと問う祐一に、戸惑いながらも『了承』してしまう秋子。
 水回りなど、てきぱきと据え付けていく祐一の姿に、やはり男の子ですね、などと感心してみたり。


 そして、夕食後。

「それじゃあ秋子さん、使ってみましょうか」
「はい」

 使い方は簡単。
 洗いたい食器と洗剤を入れて、スイッチを入れるだけ。

「洗ってますね」
「はい」
「それで、あとはどうすればいいんでしょうか?」
「……お茶でも飲んで、待っていればいいんじゃないですか」
「……そうですね」

 この食器洗い機、動作音は案外静かで、キッチンから離れてしまうと気にならなくなってしまうほど。
 何となく落ち着かない時間を過ごすと、しばらくして電子音と共に食器洗い機が停止した。

「……きれいになりましたね」
「食器洗い機ですから」
「お皿、拭く必要もないんですね」
「食器洗い乾燥機ですから」
「このまま、食器棚にしまっていいのかしら?」
「いいんじゃないですか? 忙しい人は、食器棚に戻さず、そのままここを収納場所にしてしまうようですけど」
「それはちょっと……」

 まともに話しているようで、しかしどこかずれている会話。
 いや、この会話だけではない。
 先ほどから秋子の様子がおかしいことに、祐一は気付いていた。

「秋子さん?」

 洗い終えた食器に、顔を近づけている秋子。

「ええっと……」

 らしくもなく、ためらいがちに秋子は言った。

「確かに汚れは落ちてますが、少しだけ、少しだけですけど匂い、残っている気がしませんか?」
「えっ?」

 慌てて自分も匂いをかいでみる祐一だったが、よく分からない。
 言われてみれば、そんな気もしないではないが……

「お料理に、影響するかも知れませんし……」

 それで、秋子が何を言いたいのか、なぜ言いづらそうにしているのか気付く祐一。
 しかし、

「おい、真琴」
「あぅ?」

 リビングでぼうっとしていた同居人の少女を呼ぶ。

「お前、匂いの違い分かるか?」

 食器洗い機で洗った皿と、そうでない皿を差し出す祐一。
 真琴は犬のようにくんくんと両方の匂いを嗅いでいたが、すぐに首を振った。

「あぅ、わかんない」

 真琴の感覚が人間離れして鋭いのは、この家の人間なら誰でも知っている所。
 つまりは、そういうことだ。

「錯覚ですよ、秋子さん。まだ機械を信用していないから、そんな風に感じるだけです」
「でっ、でも水道代がもったいなくありませんか?」

 今度は明らかに抵抗する様子を見せる秋子に、やっぱりと思いつつ首を振る祐一。

「秋子さん、今時の食器洗い機は手洗いより水が節約できるんですよ。電気代、洗剤代、トータルで見てもお得なんですから」
「はぅ……」

 恨めしそうに食器洗い機を見る秋子。

 そうなのだ。
 どんな時でも手抜きをせず、温かな食事を用意してくれる秋子。
 手仕事の温もりにこだわる彼女にとって、食器洗い機を使うのはかなり抵抗があることなのだろう。
 それに気付かず、勝手に食器洗い機を入れて独りで満足していたことを恥ずかしく思う祐一。
 どんな便利なモノであっても、使う人間が必要と思わなければ、それは邪魔なだけ。

 しかし……

「秋子さん……」

 すっと表情を改める祐一。
 秋子も覚えがある。
 それは、祐一が本当に真剣に相手のことを想っている時に見せる表情。

「食器洗い機、昔は全然売れなかったそうなんです。でも開発した人たちは、母親に電気洗濯機をプレゼントして喜ばれたことや、看護婦として働き、荒れた手で水仕事をする自分の奥さんのことを想って、今の食器洗い機を作り上げたのだそうです」

 以前テレビで見た話なんですけどね、とわずかにおどけて見せてから言葉を継ぐ。

「秋子さんの家事や料理に対するこだわり、分かりますし、とてもありがたく想っています。でも、この食器洗い機もただの冷たい機械ではなくて、関わった人たちの想いが込められているんだってこと、分かって欲しいんです」
「人の想い、ですか……」
「俺だってそうですよ」
「祐一さん?」
「休日や夕食だったら、俺だって皿洗いぐらい手伝うことができます。でも、朝はそういうわけには行きませんから」

 そう言う祐一に、秋子も娘の寝ぼけ顔を思い浮かべる。

「だから、せめて俺の代わりに、こいつを残して行きたいんですよ」

 祐一も、食器洗い機が要らない家もあるということぐらい理解している。
 だが、一人で水瀬家の家事も仕事もしている秋子には、必要な物だと感じたのだ。
 何でもない顔をして全てを完璧にこなしてしまう秋子だからこそ、無理をして欲しくない。
 休めるときには休んで欲しい。

「祐一さんの、代わりですか……」

 改めて、食器洗い機をまじまじと見つめる秋子。
 触れてみても指先に伝わるのはただのプラスティックの感触だったが、それだけではない、祐一の優しさ、温かな想いが確かに感じられるような気がした。

「ふふ、そうですね。それでは祐一さんに甘えさせてもらうことにしますね」


 そして……


「あぅーっ! ゆーいちが泡吹いて変になったー!!」
「こら真琴! おかしな言い方すんな!!」
「あらあら、洗剤を入れすぎたのね」

 その日から、水瀬家では食器洗い機に『ゆういちさん』という名前が付けられ、活躍することになったのだった。



「……そう、母親の私を差し置いて、そんなコトしてるの、あの子は」
「ね、姉さん?」

 息子を嫁に取られる母親の気分ってこんなのかしら?
 いや、あんな馬鹿息子に……

 ぶつぶつと呟く姉に、困惑するしかない秋子。
 そこへ……

「ただいまー」
「あ、祐一さん」

 ちょうど帰ってくる祐一。

「少し待って下さいね」

 そう告げて、電話をそのままに、いそいそと祐一の元へ。

「お帰りなさい祐一さん。外、寒かったでしょう」
「はい、でもいい加減慣れましたよ。あ、いや秋子さん。コートなら自分で脱ぎますから」
「これぐらいさせて下さい。祐一さんはこの家にとって大事な人なんですから」
「いや、その…… 秋子さん、何かしている最中だったんじゃあ?」
「ええ、姉さんから電話が。コートは私がかけて置きますから、電話の方に」
「えっ、ああ、それじゃ済みませんがお願いします」

 コートを秋子に託し、慌ただしく電話に向かう祐一。
 スリッパをパタパタ言わせながら、祐一のコートを抱え、後に続く秋子。

「母さん?」
「あんた達ねぇ……」

 いきなり浴びせられるため息。
 電話越しに聞こえてきた祐一達の会話のせいなのだが、もちろん祐一には分からない。
 そして、

「国際電話かけている私を放って置いて、何新婚さんみたいな真似してんのよ」
「はぁ? 何だよソレ」
「自覚なし…… そうよね、あんたもこういうことにかけては秋子と同じ天然タイプだったものね」
「何いきなりわけの分かんないこと……」
「祐一」
「な、何だよ」
「秋子に手ぇ出したら殺すからね」
「………」

 ガシャン

 無言で電話を切る祐一。

「祐一さん?」
「いえ、何でもないです。時差で寝ぼけてるようで。それより夕食は……」
「ええ、準備はできてますから、すぐに食べられますよ」
「良かった、実は腹ぺこなんですよ。あ、名雪は部活で遅くなるって」
「そうですか? 実は真琴からも今日は遅くなるって連絡が」
「それじゃあ、秋子さん、二人だけですけど」
「はい、先にいただいてしまいましょう。祐一さんに独りで食べていただくわけにも行きませんからね」

 そう会話を交わしながら、二人で向かうキッチンには……
 既に風景の一部として馴染んでしまった、食器洗い機が佇んでいるのだった。



HAPPY END



■ライナーノーツ

 道具というのは、人の想いによって作られ、そして使い手の想いに応えてくれるものだと私は思っています。
 本当のぬくもりというのは、そういった人の想いのことを言うのだと……
 まぁ、その辺の真面目な話も根底にあるわけですが、基本はあくまでもエンターテイメントとして、楽しめるお話になるよう努力しているつもりです。

>「食器洗い機、昔は全然売れなかったそうなんです。でも開発した人たちは、母親に電気洗濯機をプレゼントして喜ばれたことや、看護婦として働き、荒れた手で水仕事をする自分の奥さんのことを想って、今の食器洗い機を作り上げたのだそうです」

 これは、こちらからのエピソードです。

 松下電器、現在のパナソニックのお話ですが、やはり実話が持つ面白さが凄いです。
 実際、Amazon食器洗い乾燥機を見れば分かるとおり、今でも食器洗い乾燥機の売れ筋はパナソニックが独占していますしね。
 私もいつか、これに匹敵できるような感動のできるお話を書いてみたいものです。

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