「パンツァー・アンド・マジック」
第四章 予兆−1
「朝は何故に眠いのだろうな」
アウレーリアが言うと何やら哲学的な問いかけにも聞こえるが…… 本当に小さな子供のように毛布を片手に寝ぼけ眼をこすりながらだと、さすがにただ眠いだけだと楓にも分かった。
「もう少し、寝ていらっしゃいますか?」
もう身支度を終えていた楓はそう問うが、アウレーリアは首を振った。
「別によい。いつだって目が覚めるときは眠いのじゃからのう」
そう言って伸びをする。
朝日を受けて纏った薄物に幼い肢体が浮かび上がった。
辺りを見回してアウレーリアは問う。
「大地は……」
「戦車の点検に向かわれましたが」
「そうか」
そしてアウレーリアは楓を真正面から見て言った。
「ふむ、昨晩は眠れなかったのかえ?」
アウレーリアの顔からは既に気だるげな眠気は去っていて、紫紺の瞳にはただ理知的な光が宿っていた。
「いえ、その、そうですね」
楓は反射的に否定しかけ、だがしかしうなずいた。
ぽつりとつぶやく。
「……いつも自信に満ち溢れていて、泣くことなんて無い人だと思っていたのに」
昨晩見た大地の涙。
男泣きするその姿。
それが心に引っ掛かり、なかなか寝つくことができなかったのだ。
お願いだから泣かないで欲しい。
でも、その言葉を口にすることすらできなくて。
「何じゃ、幻滅したのかえ?」
アウレーリアはからかうように、しかし幼い外見に似合わず慈母のように深い優しさを持った声で聞く。
「いいえ」
それには即答することができた。
では、この胸に迫る感情は何なのか、楓には上手く言葉にすることができなかった。
言葉というのは不自由なものだ。
人間が作ったものなのだから、使い勝手が悪いのはしょうがないことなのかも知れないが。
その胸の内が表情に出たのだろうか、
「そんな、幼子みたいな目で見るでない。そなたは妾や大地が何でも理解している完璧な人間だとでも思っているようじゃな」
アウレーリアが苦笑しながら言う。
「違うのですか?」
十四歳の少女である楓からすれば、アウレーリアも大地もひどく大人に見えた。
特にアウレーリアは少女のような外見はともかく、人とは違う長命な天人だ。
「お二人は何でもよく分かっているように見えます。いつだって落ち着いていますし、まるで自分がこの先、どうなるかさえ見通しているような気がします」
「それは、最後にどうなるかは分かっておるがの」
アウレーリアはあっさりと言い切った。
やっぱりとでもいうように瞳を見開く楓に真顔で答える。
「死ぬのじゃよ」
その意味を楓が理解するまでしばらくかかった。
知らぬ内に止めていた呼吸と共に言葉を吐く。
「それは真実でしょうけど、なぜそんな……」
「他のことを口にしたところで役には立たぬからな」
アウレーリアはゆっくりと首を振る。
「死は冷酷な略奪者で人から大切な者を奪って行くが、死にゆく人が遺した大切なものまで奪うことはできぬ。大地を見れば分かるであろう。あれが優しいのは、友と過ごした日々が糧となっておるからだ。大切なのはそのことであって、死ではない」
まるで真理を語るかのようにアウレーリアは話す。
「楓、妾たちに分かっておるのはこの手の届く範囲のほんの少しの事柄だけなのじゃ。妾も大地も、他のどんな人物であろうとも、たくさんの分からないことを抱えながら生きておるのじゃ」
そうして微笑む。
「そして、そなたと同じように不安を抱えておる」
「では、どうすれば……」
楓は大海に磁石も地図も無しに放り出されたような気持ちになる。そんな彼女に、アウレーリアは語る。
「誰も、不安や寂しさを無くすことなどできぬ。じゃが、それが辛いと感じるのは自分だけがそうだと思い込んでおるからじゃ。人はみな、不安で、寂しく、孤独だからこそつながりを求めておる。一人一人、考え方も感じ方も違うが、欲しいものは変わらぬ」
「大地さんも?」
「それはそうじゃ。あれとて人間じゃ。ときに死ぬほど苦しみ、ときに死ぬほど悩む。だがそれでも人には幸福になる義務がある。それがたとえ誰であっても。それがたとえ何があろうとも」
アウレーリアは賛歌を口ずさむかのように言った。
「人は不完全で孤独な存在じゃ。だからこそ互いに傷付け合い…… まただからこそ互いを求め合い、高め合うことができる。それは素敵なことじゃと、妾は思う」
その顔は、暖かな笑みに満ちていた。
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特に無し。