「パンツァー・アンド・マジック」
第三章 約束−5
「それで楓」
アウレーリアは意地悪そうに口元に笑みを浮かべながら言った。
「まさか大地に床で寝ろとは言わぬよな」
「そっ、それは……」
口ごもる楓にやれやれと思いつつ、大地は口を開いた。
「俺は別に床でも構わないんだが……」
大地にしてみれば、アウレーリアの悪ふざけを上手くあしらうことのできない楓に助け舟を出したつもりだったのだが。
「いえ、大地さん、それじゃあ大地さんが風邪をひいてしまいます!」
大地の言葉が逆に変なスイッチを入れてしまったようで、楓は生真面目な様子で大地に迫った。
その距離の近さと正面から見つめる真剣な眼差しに、大地は思わず視線を下して、そして後悔した。
「大地さん?」
顔に出てしまったのだろう、不思議そうに首を傾げる楓に大地は言う。
「いや、そういう服を着てるんだから、胸元には気を付けろって」
そこまで言われて、楓はようやく状況がつかめた様子だった。
大地の前にかがみ込んでいる楓、白い巫女装束の胸元はわずかに緩んでいて。
「で、でも私、胸もありませんし…… それに大地さん以外の男性に、こんな風にうち解けたりもできませんし」
頭に血が昇っていくのを何とか誤魔化そうとしているのか、楓はしどろもどろになりながら口を開いたのだが、
「いや、起伏がなだらかな分、逆に奥まで見え……」
「大地さん!?」
「す、すまん。いや、でもあれは凶器だぞ。破壊力抜群……」
「も、もういいですから、これ以上しゃべらないで下さいっ!」
気まずい沈黙が流れる。
もっとも、そんなことには関係なくアウレーリアは忍び笑いに肩を震わせていたが。
「ま、まぁ、万が一があったらいけないから、やっぱり俺は一人で眠るな」
楓の持つ、雪のように白い肌。
漆黒の髪に映えて、抱くと消えてしまいそうな身体。
そんな女性を間近に感じて、惑わずに居られぬほど大地は朴念仁では無かった。
席を外そうとする大地だったが、服の裾を引っ張られることで、浮かしかけた腰を落とす。
裾を掴んでいたのは楓だった。
「あの、私……」
言いよどんだ後、思い切ったように彼女は言う。
「万が一があってもいいですから、大地さんには一緒に眠って欲しいです」
「へっ?」
楓は俯いているため表情は分からなかったが、長い射干玉の黒髪から覗く耳の先は真っ赤だった。
そうして、消え入りそうな声で告げる。
「はしたない女だなんて思わないで下さいね。大地さんだけなんですから」
結局…… 大地は二人の女性に挟まれて眠れぬ夜を過ごすことになるのだった。
……そんなにくっつかなくてもいいんじゃないのか?
大地は目をつぶりながら、両隣で同じ毛布にくるまっている女性たちに思う。
どうしてこうなってしまったのか未だに納得できなかったが、なってしまったものはしょうがないし、これからだってなるようにしかならないだろう。
アウレーリアは大地の腕を我がもの顔で枕にしていた。
その柔らかで弾力のある頬を大地の胸板にすり寄せる様子は機嫌のいい猫のよう。
外見どおり子供のように体温が高いのか、ぽかぽかとした心地よい暖かさが触れたところから伝わってくる。
……これなら枕、要らなかったんじゃ。
大地は相手を起こさぬよう、胸の内だけでぼやく。
一方、楓は大地の腕を両手で抱え込んでいた。
大地の上腕に、ささやかだがしっかりと在る柔らかな感触が伝わっていた。
「大地さんの匂い……」
寝ぼけているのか、そうでないのかささやくようにつぶやかれる声。
「あたたかい、確かなぬくもりを感じられる場所…… 異界の化け物が現れる山中も、怨念の声が聞こえる夜も、例え砲弾が音を立てて放たれる戦場の中でも、この手の中なら怖くない。大地さんと一緒なら生きてゆける」
ぎゅっと抱きしめられる大地の腕。
そしてしばらくの後、楓の安らかな寝息が大地の耳へと届いた。
「夜は冷えるからな。なに、俺はただの湯たんぽさ」
そう、大地は独白した。
深夜、寝床を抜け出した大地は屋敷の外へと足を向けた。
見上げれば、ひときわ美しく見える丸い月と一面の星空だった。
昼間の陽気が嘘のように空気が冷え、乾いた夜風が肌に心地良かった。
あちこちで虫たちが夏の名残を惜しむかのように鳴いている。
大地は懐から、大事にハンカチに包まれた楽器を取り出した。
月の光を受け、わずかに銀の輝きを放つそれはハーモニカだった。
それを唇に当て、息を吹き込む。
その音色は虫が鳴くだけの夜の村に高く、低く響き渡った。
行進曲のように勇ましい曲だったが、大地の手による演奏は、どこか胸に迫るような切ない響きを持っていた。
月下の独奏会。
ハーモニカを吹き終えた大地は拍手の音に振り返った。
そこに居る人影に苦笑混じりの軽口を漏らす。
「逢引の約束をした覚えは無いんだが?」
「なに、今夜は月が綺麗でな。散歩をしていたのじゃよ」
月光を水のように浴びながら現れたのは、銀糸の髪が美しいアウレーリアだった。
背後には、申し訳なさそうな顔をした楓が続いた。
エレンは疲れていた様子だし寝ているのだろう。
■ライナーノーツ
> 月の光を受け、わずかに銀の輝きを放つそれはハーモニカだった。
こちらの資料には、主人公が居た少年戦車学校の記事も掲載されています。