「蛍狩り?」
「はい、近くの小川なんですけど、この季節になると凄いんですよー」
「ふぅん?」
「ですから、志貴さん?」
「ああ……」

 琥珀さんの言いたいことは、分かる。

「それじゃあ案内してくれないか、秋葉」
「はっ、はい?」

 急に話を振られ、あたふたする秋葉の様子を眺めるのは、それはそれで楽しかった。



月姫 秋葉SS

『蛍狩り』



Shiki side

「お待たせしました」

 そう言って玄関に現れた秋葉は、浴衣姿だった。
 青地に金魚が涼しげに泳いでいる。
 意外な感じだが、悪くはなかった。
 琥珀さんの見立てだろう。
 兵児帯は紅。

「兄さん?」

 いぶかしげな秋葉の声で、ずっと見惚れていたのに気付く。

「いや、似合ってるよ」
「あ、はい」

 恥ずかしげにうつむく秋葉。
 浴衣に合わせて髪をアップにしているので、そうやって顔を伏せても、首筋までほんのりと染まっているのが見て取れた。
 ほめられて嬉しいのと、自分から感想を求めたようで、はしたなかったかと恥じているのが半々と言ったところか。
 再会してしばらくは、昔と違う秋葉の立ち居振る舞いに戸惑ったものだったが、すぐに隠された本心が見えるようになった。

 ……実際、分かりやすいよな。

 秋葉が聞いたら本気で怒り出しそうな言葉を飲み込んで、玄関の扉を開けてやる。

「それじゃあ、行こうか」


 ただ一言、「はい」という返事が返ってきた。




「秋葉、それは?」

 浴衣の帯に吊り下げられた、金属製の円盤。

「やっぱり変ですか? 虫除けのスプレーが肌に合わないので、琥珀が持たせてくれたのですが」
「ああ……」

 かすかに流れる煙が、懐かしい匂いを届けてくれる。
 秋葉の腰に吊り下げられたそれは、蚊取り線香だった。
 携帯用に不燃性のネットで固定され、横にしようが逆さまにしようが大丈夫な容器に入れられている。

「いいんじゃないか、風流で」

 琥珀さんも趣味がいい。
 それに…… 所在なげに自分の反応をうかがう秋葉は、見慣れない浴衣姿のせいか、妙に可愛くて。

「じゃあ、秋葉の側に居れば、蚊に食われることも無いってわけだ」

 もっと、そんな秋葉を見てみたくなる。

「えっ?」

 戸惑う秋葉に、ついと近づく。
 それで、秋葉にも分かったらしい。
 更に顔を赤らめながら……
 それでも必死で何でもない振りをしているのが、反則的なほど愛らしい。

「そ、そうです。ですから兄さん……」

 おずおずと伸ばされた秋葉の指先は、火のように熱を帯びていて。


「離れないで…… 下さい」


 消え入るように、ささやかれる言葉。

「………」

 もっと近くに居るように求めるのではなく、
 離れないで欲しいと請う言葉。
 無意識に選ばれた言葉に、秋葉の中の不安が、幼い日の秋葉に自分が刻んでしまった傷が透けて見えるような気がした。

 こみ上げてくる何かをこらえながら、秋葉の手を取り、歩き出す。










Akiha side

「あっ!」

 暗い山道に、足下を取られる。
 慣れない下駄のせいもあって、よろけてしまった。

 ぽふっ。

「大丈夫か、秋葉」
「はっ、はいっ!」

 答える声が必要以上に大きくなっているのが分かったが、どうしようもない。
 だって、私の身体は兄さんに、まるで抱きしめられるように支えられていたのだから……

「気を付けてな」
「はい……」

 子供に言い聞かせるような兄さんの言葉に、ただうなずくことしかできない。
 本当に幼子に戻ってしまったかのように、兄さんに立たせてもらって再び歩き出す。
 でも、兄さんの歩調はわずかにゆっくりとしたものになっていて……
 無言で、私を気遣ってくれているのが分かる。

 ……兄さん

 何だか、胸の奥が熱くなってしまって……
 私は何も言えず、歩き続けた。




 夜の闇の中、さらさらと流れるせせらぎの音。
 それ以外は、互いが発する足音と、かすかな衣擦れの音しか聞こえない。
 まるで……

「まるで、この世にたった二人で居るみたいだな」
「!!」

 心の中を見透かされたようで……
 驚いて顔を上げると、星明かりの中、微笑む兄さんの顔があった。
 いつもの、見る者を安心させる笑み。
 それで、驚きは嬉しさに変わる。
 兄さんも、私と同じ事を感じていてくれた。
 それだけのことで、何とも言えない幸福感が私を満たす。



 本当は、それだけではなく……

 ずっとこうしていたい。

 という続きがあったのだけれど。






「これは……」

 兄さんが息を飲むのが分かった。
 闇の中、飛び交う光、光。

「凄いな……」
「はい……」

 私にしても、これだけ凄いのを目にするのは初めてだった。
 ちょうど一番いい時期だったのだろう、それに年回りも。
 光の乱舞、そうとしか言いようがない。

「奇跡、みたいなもんだな」
「えっ?」
「寿命、短いから。これだけのものを見られるなんて、本当にわずかな間なんだろう?」

 差し伸べられた兄さんの手に、触れんばかりに近づいては離れる、明滅する光。
 眼鏡越しにでも、兄さんには感じられるのかも知れない。
 その、生の儚さ。
 華やかさの影にある死が。

「兄さん?」

 急に怖くなって、私は兄さんを呼んだ。
 蛍が…… 兄さんを連れて行ってしまう。
 そんな恐怖が胸をついた。

 だけど……

「その、僅かな間しか現れない光景を、秋葉と一緒に見ることができるんだから」

 兄さんは、優しく微笑んでくれていて。

「だから、やっぱりこれは奇跡だよ」

 私を見てくれる。

「兄さん……」

 こみ上げてくる…… 想いを抑えきれない。

「兄さんっ!」


 ……兄さんは私を、優しく受け止めてくれた。






「済みません、兄さん」
「いや、気にしなくてもいいよ」

 兄さんは、そう言ってくれるけど、落ち込んだ気分は直らない。
 履き慣れない下駄で山道を歩いたせいだろう。
 帰り道、途中で私は足を痛め、歩けなくなっていた。

「ほら」

 私を道ばたの石に座らせて、足の様子を調べようとする兄さん。
 裾が割れないように気にする私の足を取って。
 兄さんの手で下駄を脱がされる。

「んっ」

 思わず息を詰めてしまう。
 真剣な表情で、痛めた所を診てくれる兄さん。
 私の足は、兄さんの男らしく大きな、でもどこか繊細な感じのする掌に納められてしまっていた。
 長い、形の良い指先にきゅっと握られると、くすぐったさだけではない震えが背筋に走って。

「ああ、やっぱり赤くなってる」

 それは、足の擦れた部分を言っているのだけれど。
 それこそ耳まで真っ赤になって居るであろう自分の姿が意識されて、ますます心拍が上がってしまう。
 浴衣だから、兄さんが顔を上げたら、首筋から胸元まで真っ赤なのが見られてしまうだろう。
 でも……

「にっ、兄さんっ!?」

 私の足に、顔を寄せる兄さん。
 そして、


 ぴちゃっ、て……


「ひうっ!」

「あ、くすぐったかったか?」
「にっ、にいさ……」
「でもがまんな」
「そ、そん……っ!!」

 兄さんが、私の足に口付けているというだけでも気が狂いそうなのに、その舌がゆっくり優しく、擦れてしまった部分をなぞって。

「や、やめて下さい兄さんっ」

 そんな所、汚い。
 そう続けようとしたのを見透かされたのか。

「秋葉の汗って、甘いな……」

 って。
 どうして兄さんは……

「〜〜っ!!」

 痛みを冷まそうとするように、唾液に濡れた所に息を吹きかけられた。
 私の抵抗を言葉で、そして行為で封じ込めてゆく兄さん。
 舌先が、鼻緒で擦れた、ゆ、指の間までっ!!


「っ! 〜〜っ!! 〜〜〜っ!!!」






「はぁっ……」

 詰めていた息を、ようやくつく。
 終わった、の?
 呼吸は乱れ、心臓は早鐘のように脈打っていたけれど、何とか、耐え切れたみたい。
 でも、朦朧と霞む意識に、兄さんの声が。


「それじゃ反対の足、な」


 って……







「うう……」

 結局私は、兄さんに背負われて家路を辿っていた。
 兄さんには「やっぱり足が痛いから」と言ったけど、本当は……

 兄さんと蛍を見ることができて。
 あれだけの感動の後だけに、これは格好が悪すぎる。

「そんなもんだよ」

 私を背負いながら、兄さんが言う。
 胸の内で呟いたつもりだったのだけれど、声に出ていたのだろうか。
 それとも……
 そんな疑問も、続く兄さんの言葉で霧散した。

「八年間も、何もできずに妹を放っておいた兄だって、相当格好悪いだろうし」
「そんな、兄さん!!」

 そんなことはない!
 兄さんはちゃんと、変わらず私の兄さんで居てくれた。
 今、側に居て、私を支えてくれている。

「うん、だから……」

 兄さんは、喉の奥に詰まってしまった私の想いを分かっているかのように、うなずく。

「秋葉も、格好なんか気にしなくてもいいんだよ」

 そう、言ってくれる。







「……はい」


 とても、遅れた返事だったけれど。
 兄さんは笑って応えてくれた。



HAPPY END



■ライナーノーツ

 今回は月姫、秋葉様のお話です。
 夏で浴衣で蛍狩りなのですが、いざ書き始めたら秋葉様、反応が初々しすぎて可愛らしいですね。


> 兵児帯は紅。

 兵児帯とはこのようなものです。
 元々子供のものでしたが、現在では女性のゆかたというとこれですね。


> 秋葉の腰に吊り下げられたそれは、蚊取り線香だった。
 こんなものです。
 蓋に不燃性のネットが張られているため横にしても大丈夫。
 吊り下げて携帯ができます。

Tweet

トップページへ戻る

inserted by FC2 system