この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
 バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。



 峠の頂上の駐車場に私のJOG−ZR、相沢さんのアクシス、あゆさんのチョイノリを停めて。

「はぁ、いつから峠はガキどもの遊び場になったんだ……」

 呆れた様子で仰る相沢さん。
 眼下に広がるワインディングでは、行ったり来たりしている数台の原付スクーター。
 甲高いエキゾーストノートが、改造車であることを物語っています。
 この駐車場でも、数台がたむろしていたり。

「うぐぅ、こんな中、通るの怖いよ」
「ここに来るまでもチョイノリだと思ってなめてかかられて、さんざん煽られてたからなー」

 私達が前後でフォローしていたから良かったものの、一歩間違えば事故を起こしていたかも知れません。
 本当にマナーがなっていない人達ですね。

「とはいえ、走り屋を自称している連中にとっては、上りより下りのほうが本番だ。きついのはこれからだぞ」

 そう、心配される相沢さん。
 私は少しだけ考えてから、口を開きました。

「あゆさん…… 私にちょっとだけ、このチョイノリを運転させてくれませんか?」



美汐のスクーター日記
『友情パワー? チョイノリ激走!!』



S−01 天野美汐

「どうする気なんだ天野、無茶だぞ。これはチョイノリなんだぞ。エンジンは2馬力だし、足回りだってスカスカだ」
「それが何だというのです?」

 キック1発。
 あゆさんのチョイノリのエンジンに火を入れ、調子を見ます。
 このチョイノリ、機械に弱いあゆさんの為に、今日は走行前に相沢さんと私で基本的なチェックと調整をしてあります。
 リアタイヤは、非力なチョイノリに合わせ、路面抵抗を少なくするよう、規定圧より高めに空気を入れ、一方フロントはばたつかないよう、規定圧通り。
 ブレーキは引きずらないよう余裕を持ったセッティングにしてあります。

「不安かも知れませんが、私を信じてもらえないでしょうか? あゆさんの大事なスクーター、絶対ぶつけたりしませんから」

 敢えて相沢さんには答えず、あゆさんだけに話しかけます。

「まぁ、見ていてください。無事、ふもとまでチョイノリを降ろして見せますから」

 不安げなあゆさんに笑って見せてから、ヘルメットのシールドを下ろします。

「行きます!!」



S−02 相沢祐一 月宮あゆ

 美汐がチョイノリをスタートさせるのを待っていたかのように、駐車場に溜まっていた原付乗り達が追いかけ始めた。

「ちっ、相手がチョイノリ。しかも女だからって、からかってやろうって待ってたな!」

 アクシスに飛び乗る祐一。

「あゆ、後ろに乗れよ」

 ヘルメットを被りながら、祐一はあゆを呼ぶ。

「天野を追う。急げ、追いつけなくなるぞ」
「う、うん」

 タンデムシートに慌ててあゆが乗ったことを確かめ、祐一は言う。

「行くぞ、シンデレラ城のミステリーツアー出発! クラブバー、しっかり握っとけよ!」

 そして急発車するアクシス。

「うぐぅ、怖いのは嫌だよ」
「安心しろ、そういう怖さじゃないから」



S−03 天野美汐

 ちらりとバックミラーを覗くと、駐車場で固まっていた方々のスクーターが追いかけてくるのが見えました。
 ただ、それにしては遅い。

「アクセルをゆるめてますね。コーナーに入ってからちょっかいをかけてくるつもりですか。迷惑な」

 安全なストレートで抜いて、さっさと先にいってくれればいいのにと、ため息が出ます。

「そもそも、こちらには相手をするつもりなんて、最初からありませんが」

 そして、最初のコーナーに突入します。



S−04 相沢祐一 月宮あゆ

「こうして後ろから見ていると、まるで芸術だな、あのコーナリングは。ほとんど減速をしない。体重移動だけでパスしてしまう全開走行」

 チョイノリに限らずパワーの無い原付では、一度失速したらスピードを回復するのに時間がかかる。
 だからムダな減速を一切しない。
 高いアベレージを保つための走法。

「コーナー入り口のブレーキングで車体を寝せるきっかけを作り、クリッピングポイント通過後、加速と共に車体を起こしていく…… エンジンパワーがあるバイクならできるそれらを、体重移動だけでこなしているんだ」
「うぐぅ?」

 無線越しにあゆに語りかける祐一。
 しかし、それはあゆに理解させようというよりは、自分に言い聞かせている言葉のようだった。

「あれがどんなに凄いことか分かるか、あゆ。あいつはチョイノリというスクーターを限界領域でまるで手足のようにコントロールできるんだ」

 声に、僅かに羨望の色が混ざる。

 タイヤ径が小さく接地長が短い原付スクーターでは、限界域の挙動は急激で、失速したとしても立てなおせるエンジンパワーは無い。
 普通のバイクのような誤魔化しが一切効かないのだ。
 だからこそ、二輪を操る為の基本がしっかりと身に付いていないと、本当の意味では乗りこなせない。

「俺でもあそこまではアクシスをコントロールできていない…… 感動的だな」

 スクーターがライダーを育てる。
 美汐の愛車、JOGは、そういうマシンなのかもしれない。

「うぐ〜っ、はっ、速いっ、速いよ祐一君っ! これと同じスピードで走っているのが、ホントーにボクのチョイノリなのっ!」
「ああ、ただ直線は速くないから、その分で追いついてる。逆に言うとコーナーのスピードはこんなもんじゃないぞ」
「ムチャクチャ速いよっ!」



S−05 天野美汐

「やっぱり遅いですね」

 コーナーを可能な限り減速せず処理するのですが、やはり2馬力のチョイノリ。
 下り坂のおかげで何とかなっているとはいえ、直線になると不利です。

「さっさと抜いて行けばいいのに」

 直線では、左端いっぱいに寄って、道を譲っているのですが。
 まぁ、アクセルをゆるめたりはしませんが、元々チョイノリのスピード。
 そんな必要も無いでしょう?



S−06 相沢祐一 月宮あゆ

「直線は速くないって、本当なのっ!? どう考えてもボクが運転している時より速いよっ!」
「コーナーの脱出速度が10キロ上がれば、直線のスピードも10キロ上がる。単純な話だろ」
「それは、そうかも知れないけど」
「そして最高速はエンジンの性能と走行抵抗のバランスで決まる。走行抵抗は、主に空気抵抗とタイヤの接地抵抗になるんだが、小柄でタイトなライディングジャケットを着込んでいる天野は空気抵抗が小さい。膝も揃えて乗っているしな」

 小柄という点では、あゆも一緒だったが、専用のジャケットを着込んでいる美汐とは、やはり違った。
 小さなギャップを乗り越えるため、祐一の声がいったん途切れる。

「そして接地抵抗の方は、タイヤの空気圧を高めていること、そして天野がこの結構荒れている峠道で唯一、抵抗の少ない路面を走っていることが効果を上げているんだ」
「抵抗の少ない道?」
「ああ、路側帯の白線の上だ」



S−07 天野美汐

「いい加減、ぎりぎりまで寄っているんですから、抜いていけばいいのに」

 ため息が漏れます。

 歩道が無い場所での左端の白線。
 それより寄ると、そこは路側帯で法的に走行は不可。
 つまり私は白線の上という、ぎりぎりの所まで寄って道を空けているのですが。

「まったく、チョイノリに道を譲られてなお追い越さないなんて、何なんでしょうね、この人達は」



S−08 相沢祐一 月宮あゆ

「白線の上って……」

 絶句するあゆ。

「まぁ、反面滑るから、雨の日や脇道から何かが飛び出して来そうな場所。つまりブレーキをかけたりしなければならないような場所では使えない手だがな」

 そして、祐一は笑う。

「そろそろ相手もじれて切れ始めたな。目を離すなよ、あゆ」
「う、うん」

 改めて、先頭を走る美汐のチョイノリを見るあゆ。

「凄い、目がついていかない。美汐ちゃんがフッ、フッ、って、カーブの度に消えていくよ」
「ほう、あゆにも分かるか」

 感心したように言う祐一。

「どういう意味?」
「チョイノリで、人間の動体視力を超えるほどのスピードを出せるわけ無いだろ。それはライダーが無意識に予想しているコーナリングにかかるはずの時間、スピードと、現実に天野が見せているスピードの差が見せる錯覚だ」

 ただ単に車やバイクの性能が高くて速いだけでは絶対に体感できない。
 コーナーが速い、真に運転が上手い人間の後を走った時にだけ感じる錯覚。

 そして錯覚だからこそ、「訳の分からない速さ」として、人々の脳裏にこびりつく。

「追いかける方にとっては悪夢だろうな。直線で追い詰めたはずの相手が、目の前でするりと逃げていくんだから」

 実際、美汐を追いかけていたライダーは、著しく集中力を失っているようだった。
 美汐に追いつく為にコーナーへの突入がオーバースピードとなり、結果としてコーナリング処理が遅れ、ますます差が開いていく悪循環。

「これこそが『華音峠の白い悪魔』っていう名前の由来なんだろうな」



S−09 天野美汐

「ボク、みんなが言っていた意味がやっと分かったよ。美汐ちゃんの運転は特別だって……」

 放心したように仰るあゆさん、
 麓の町のコンビニの駐車場に停車すると、すぐにあゆさんをタンデムシートに載せた相沢さんのアクシスが到着しました。
 相沢さんにはご負担をかけますけど、私をタンデムシートに再び峠に取って返していただいて、JOG−ZRを回収。
 そのままコンビニで待っていたあゆさんと、合流したのですが。

「何を仰っているんですか? 交通の邪魔にならないよう、チョイノリで可能な限りに急いだだけで。それに直線では毎回きっちり道を譲っていたでしょう? 何故か後続の方々は追い越して行かなかったようですが」
「……美汐ちゃん、自分で気づいてないだけだよ。チョイノリがあんな風に走るなんて、ボクは考えたことも想像したことも無かったよ」
「そんなに言われるようなことは、無いと思うんですけど」

 川澄先輩のフュージョンならともかく。
 ……物理法則を、無視しますからね、あの方は。

「スクーターの性能じゃないんだって良く分かったよ。腕さえ良ければ、チョイノリでもあんなに凄い走り方ができるって分かったから」

 そうしてあゆさんは笑います。

「ボク、このチョイノリが凄く好きになったよ。大事に乗るんだ。一生懸命練習して、いつか美汐ちゃんみたいに走ってみせるよ」

 そう言って愛車を見つめるあゆさんの目は本当に愛しげで。

「そうですね、誰の物でもない。あゆさんのチョイノリですものね」

 でも、そんな私達に水を差す相沢さんの声。

「しかしこれでまた『華音峠の白い悪魔』の名前が有名になるなー」

 はい?

「白のZRに乗っているところも見られてるんだから、ばれるのは当たり前だろー」

 そう仰るのは相沢さんでしたが。


 でも、この時、私はまだ知らなかったんです。
 後日、事実に輪をかけて尾ひれの付いた噂が流れるなんて。

 あの峠の走り屋だか珍走だか分からない人達に、

「チョイノリファイトからやり直せ!」

 なんて、私、言ってませんからねっ!!



To be continued



■ライナーノーツ

 元ネタはやはりこちら。

 もちろん、そのままにならないようオリジナル要素を入れてますけどね。

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