この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。
私の髪をすく、香里先輩の小指の先が、私の耳をかすめるように触れていって。
「ふやっ」
敏感な所を触られて、思わず声が出てしまいます。
そんな様子がおかしかったのか、くすくす笑う香里先輩。
……声が、近い。
とても。
私が顔を上げ、恨みがましい視線を向けても、先輩の笑みは深まるだけ。
「そんな涙目で、むーって顔してみても可愛いだけよ」
そんなことを言われてしまい、熱くなる頬を見られまいと再び視線を下げる。
目の前には、女性らしい曲線を描く、香里先輩の胸。
所在なげに、その服を握っている私の片手。
「天野さんの髪って、本当に猫毛って感じよね。細くて、とっても柔らかい」
「………」
多分私、耳まで真っ赤だと思います。
美汐のスクーター日記
『ねこめーわく』
事の起こりは、やはり相沢さん。
少し離れた場所にある神社の、有名な夏祭りにスクーターで行かないかと誘いをかけられたのでした。
「でも、あのお祭りって、国道が渋滞するので有名ですよね」
「だからスクーターなんだよ」
ああ、すり抜けするってことですか。
こういう時にやるのは、ズルをしているようで心苦しいのですが。
「いや、だって追い越される車って、自分達が渋滞を作っている原因になっているわけだろ。俺達はそれを少しでも解消するためにスクーターで行くわけで。大体、駐車スペースだって車の半分以下だし」
そういう考え方もありますか。
ともあれ、渋滞を見越して先行する秋子さんの車と、私達スクーター組に分かれて出かけることにしたのです。
実際、行ってみたところ渋滞は予想したほどでもなく、私達は無事、臨時に作られた駐車場にスクーターを停めることができました。
「なんだありゃ」
祭りの浮かれた空気のせいか、いかにも珍走仕様といったスクーターも停めてありました。
いえ、停めてと言うより倒れていて。
「この臨時の駐車場って、地面が柔らかな土でできてますからね。サイドスタンドがめり込んで倒れてしまったんですね」
センタースタンドならめり込みにくいし、めり込んだとしてもリアタイヤが接地するだけで済むのですが。
まぁ、旅慣れている人だと、サイドスタンドでも石や、踏みつぶした缶などを下に当てて転倒を防ぐそうですけど。
「ああいう奴らってサイドスタンド曲げて、やたらと傾けて停めるからなぁ」
なおさらですね。
「センタースタンドに比べて駐車スペースはとりますし、整備はし辛い。傾いていますから荷物も載せ辛く、給油の時も支えていないと満タンに入れられない…… 何のためにあそこまで傾けるんでしょうね?」
だいたい、ギアの入れられないスクーターでは、タイヤが動くのでサイドスタンドでは坂道に停められませんし。
ヤマハのスクーターみたいに、後輪をロックできるのならまた話は別ですが。
「まぁ、バンクしたときにセンタースタンドが擦れるから外してしまう、っていうのがサイドスタンドを使う一般的な理由だけどな。外した分、軽くなるし」
「公道で安全マージンを残さずに、そこまでバンクする必要があるんでしょうか? ギャップや水たまり一つでどうにかなってしまいそうですよね」
「だから、そういう奴らは路面状況が分かっている峠の決まった場所を行ったり来たりするんだよ」
「……? 特定の場所を速く走れるからって、何か意味があるんですか?」
「……まぁ、な」
私にはよく、分かりません。
「あぅ〜っ、いいから早く早く!」
難しい話にじれてしまった真琴にせかされ、先行していた秋子さん達に合流するのでした。
「相沢さん、それは?」
「おお、射的で獲った戦利品だ。これでも射的の祐ちゃんって言われてたんだぞ」
そう仰る相沢さんの手にあったのは、奇妙な形をしたカチューシャ。
猫の耳が付いています。
……姿が見えないと思ったら、そんなものを取っていたんですか。
ふと、向こうを見てみるとウサギの耳を頭に付けた川澄先輩が、楽しげに笑う倉田先輩と歩いていたり。
「名雪曰く、どんな女の子でも百万倍可愛く見えるアイテムらしい」
「百万倍ですか……」
猫ですからね。
「と、言うわけで天野にプレゼントだ」
「えっ?」
あっという間の早業でした。
相沢さんの手にしていたねこみみカチューシャが私の頭に。
「うーん、やっぱり天野はネコだな」
至極、満足げに頷く相沢さん。
それは、私の髪は細くて手間のかかる猫毛ですけど……
って、違う、違いますっ!
「なっ、何をっ!!」
慌てて外そうとする私でしたが、外れません。
や、やっぱりっ!!
「どうした天野。気に入ったから外したくないとかか?」
違いますっ!
「私の髪って猫毛で絡まりやすいんですっ! ちゃんとしたカチューシャならともかく、夜店で売っているようなものだと絡まっちゃって」
「ああ、ほんとだ悪い」
って、いきなり頭に、髪に触れられて。
「あ、相沢さ……」
女性の髪をこんなに気軽に触るなんて、この人は……
一言、言ってやろうと思った時でした。
「ねこ〜」
はい?
「うー、ねこさんかわいいよー」
名雪さんでした。
ゆるゆるにゆるんだ顔。
目を糸のように細めて、こちらにふらふらと引き寄せられるようにやってきます。
そして、さしのべられた両手が、後ずさりする私に……
「待て待て待て、何をする気だ名雪」
割って入った相沢さんに、ぷくーっと頬を膨らます名雪さん。
「うー、ねこさんを独り占めしようなんて、祐一、極悪だよー」
「お前は猫なら何でもいいのかよ!」
「ねこさんかわいいよー」
「人の話を聞けっ!」
「ねこー、ねこー」
もう、何が何だか。
「どうしたの、天野さん」
「あらあら」
香里先輩と秋子さんが女神様に見えました。
「だめよ、名雪。あなたアレルギーなんだから」
「うー、ねこさんー」
意図的なのか、そうでないのか。
突っ込みたくなるようなセリフで名雪さんを引っ張っていく秋子さん。
名雪さんはうーうーうなりながら、お母さんにたしなめられて、でも諦めきれない小さな子供のようにこちらを見つめながら去っていきました。
「で、どういう状況なの?」
どこか呆れた表情の香里先輩に、事情を説明して。
そして、香里先輩にカチューシャを外してもらうことになったのでしたが……
「いや、やっぱみし猫はかわいいなぁ」
そんな声に視線を巡らすと、チッチッチッ、なんて言いながら、あごの下をくすぐってくる相沢さん。
「や…… ぁ……」
抵抗しようとするのですが、意地悪な態度とは裏腹に優しい指先に撫でられるたび、体から力が失われてしまいます。
この人、『人たらし』だと思っていましたが、『猫たらし』でもあるんですね。
思わず助けを求めるように、香里先輩にすがりつくと、先輩は私を抱きしめるようにして、相沢さんから私を守ってくれました。
「だめよ、相沢君。嫌がってるでしょ」
そう言う声は、とても満足そうで。
「ずるいぞ、香里。独り占めするなんて」
ふ、二人で何を競い合って居るんですか。
「ねぇ、天野さん、うちのコになる?」
だから何のお話ですっ!
結局、このままではヘルメットがかぶれないため、ねこみみカチューシャが外れるまで二人がかりで念入りに可愛がられて。
外れた後も、言うことを利かない身体でスクーターに乗るのに、さんざん苦労することになったのでした。
To be continued
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