この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
 バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。



「栞〜、グローブ忘れてるわよ」
「はい、お姉ちゃ…… えぅっ!?」

 フュージョンのタンデムシートから下りようとして……
 急に引き戻されるようにシートに尻餅をつく栞さん。

「何やってるのよ、栞……」
「エアバックジャケットのワイヤーを外し忘れたんですね」

 栞さんが着用しているエアバックジャケット。
 事故時に膨らんでライダーを保護してくれる優れものですが、作動用のワイヤーをバイクに繋げる必要があります。
 これが引っ張られる……
 バイクとライダーが離れることで作動するのですが、先ほど程度の衝撃では誤動作しないように設計されています。

「……ホントに役に立つのかしら、コレ」

 形の良い眉を顰めて香里先輩。
 2輪の世界では最強のプロテクションを誇る製品をコレ扱いですか……
 ともあれ、そうして仰られたのは、

「そのままバイクに引きずられて行く栞の姿しか、思い浮かばないんだけど」
「………」

 そんなはずはないと頭では分かっているのですが。
 酷くリアルに想像できてしまうのは、どうしてなのでしょうね……



美汐のスクーター日記
『叶うことなら時を止めて』



「えぅ〜、どういう意味ですか、それは!」

 ぷんぷん怒る栞さんでしたが……

 スネル規格を満たしたアライのジェットヘルメット。
 くるぶしまでとはいえ、一流品のブーツ。
 要所に補強の入った(ジュニア用の)ライディンググローブ。
 極めつけのエアバックジャケット。

 下手をするとあゆさんのチョイノリの車体価格ぐらいはする装備に、埋もれてしまいそうな栞さんの華奢な身体を見ていますと……

「もう少し、育ってくれないと。ねぇ……」

 髪を掻き上げ、クールに応じる香里先輩でしたが、そんな仕草がコンプレックスを刺激したのか、栞さんは顔を赤らめ、自分の胸を隠すように両手をかき抱いて叫びます。

「どっ、どういう意味ですかっ」
「言葉通りよ」

 栞さんの斜め上を行くような反応にも動じることなく、いつものセリフで、いつものように返す香里先輩。

「そっ、そんなこと言う人嫌いです〜っ!」

 そう叫んで、くるりと背を向け駆け出す栞さん。
 相沢さんに向かって泣きつくのですが、演技と本気がまぜこぜになっているのが何ともはや……
 興奮したのか、
「どうせ、お姉ちゃんのように自前のエアバックなんか付いてませんからっ!」
 などと際どい発言も聞こえて来ます。
 ちらりと香里先輩のご様子を伺いますと……

「あ……」

 本当に…… 本当に優しい目で栞さんのことを見ていらっしゃっていて。
 極力、何でもないように視線を外したのですが。

「あら、天野さんも気になるの? 私のエアバック」

 私の内心にも気付いていらっしゃるのでしょうけど。
 余裕の表情で応じられる香里先輩は、本当に年上の女性という感じがして……

 そのまま抱きしめられても、抵抗感がまるで起こりませんでした。


「んんっ……」

 私なんかの粗末な物とは比較にならない、柔らかなものに顔を埋められて。
 苦しくなって大きく息をついたとたん……
 香里先輩の匂いで、身体の中まで満たされるような。
 そんな感覚に、身体の力が抜けてしまいました。

「香里先輩?」
「んん?」

 香里先輩は、私の髪に頬をつけていました。
 唇も触れているのかも。

「……猫が相手の顔に顔をこすりつけるときはですね」
「猫?」
「仲良くしたいってことなんだそうです。そうすることでお互いの匂いを交換するのだそうです」
「そう……」

 何を、言っているのか。
 ぼんやりとした意識の中、私は以前から思っていた事を口にしていました。

「香里先輩は強いですね」
「………?」
「もし私が香里先輩の立場でしたら、栞さんのこと片時も離さず、お砂糖漬けにして籠の中に閉じ込めてしまっていると思います」

 叶うことなら、時を止めて閉じ込めてしまいたい。
 大切な者を失う怖さを知ってしまった反動、なのでしょうけど。

「けれど、香里先輩はそれをしない」

 栞さんのこと、大切にしているのは分かります。
 エアバックジャケットなどの、最高級のライディングギアを用意して。
 でも、それは栞さんが自分で歩き出すための手助けで。

 くすりと、
 耳元で笑われた。

「きっと天野さんだって、自分がそうなったらできると思うわ」

 ぎゅって、身体を抱きしめられて。

「香里先輩は…… 優しすぎです」
「そう? だとしてもそれは、あたしが気にかけてる子にだけよ」
「栞さんには厳しくして見せるのに」
「あの子は甘やかすと際限が無いから。姉妹ってそうやって距離を取らないとね」

 そういう、ものなのでしょうか?

「その点、天野さんは妹じゃないからOKよね」
「はい?」
「あたしが『片時も離さず、お砂糖漬けにして籠の中に閉じ込めて』しまおうとしても溺れたりしないでしょ」

 それは、どういう意味なのでしょうか?

「天野さんの言うほど強くはないのよ。完全に自分を抑えてしまえるほどにはね。妹離れしようとしている反動かしら?」

 笑って私の身体を解放して下さる香里先輩でしたが。

「だから、たまにでも、少しずつでもいいから甘えることを覚えてね」
「私が、ですか?」
「そう、天野さんが」
「香里先輩に?」
「そう、あたしに」

 心から、の笑みを向けて下さる香里先輩は、私には眩しすぎて。

「お姉ちゃ〜ん! 天野さ〜ん!」

 そう呼びかけて下さった栞さんに内心感謝して。
 香里先輩と二人、相沢さん達の方へ向かうのでした。



To be continued



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 しかし、バイクやスクーターに彼女を乗せるとしたら買ってあげたいアイテムですよね。

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