この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。
雪……
雪が降っています。
轟々と。
私達を、吹き飛ばそうとするかのように。
「寒いぞ天野ーっ!」
「当たり前ですっ!!」
誰のせいで、この地吹雪の中をスクーターで走っていると思うんですかっ!!
3メートルも離れると、先を行く相沢さんのアクシスのテールランプさえ見えなくなってしまうんですよ。
ホワイトアウトです。
「うぐーっ!」
あ、またあゆさんが路肩の雪の山に突っ込んだようです。
頭から……
美汐のスクーター日記
『雪中行軍』
事の起こりは、いつもの如く相沢さんの一言でした。
「天野、ツーリング行かないか?」
「………?」
一瞬、何を言われたのか分かりませんでした。
相沢さんの顔を見て、そして窓の外、一面の銀世界を見て。
「フェリーか何かで南下するのですか?」
そんな大事を、さらりと言われても困るのですが。
「いや、行くのは○山スポーツセンターだが」
「はい?」
○山スポーツセンターと言えば、少し離れた山中にある市のレジャー施設です。
杉林を切り開いて確保した数面のテニスコートと、傾斜地を利用したアスレチック施設。
そして、シャワーやロッカー、軽食を出すサービス棟があるだけの、こぢんまりとしたものでしたが……
「あそこ、冬は開いていないでしょう」
「いや、それが開いてるんだな。施設の有効活用とかで、冬も歩くスキーを貸し出したりを始めたそうだ」
「はぁ…… 相沢さんは、それに参加されるんですか?」
「いや、それは名雪達がな。俺達はツーリングだ」
「は?」
「だからツーリングだ」
もう一度、相沢さんと外の雪を見比べて。
「雪、積もってますよ」
「問題ない」
「大ありです」
スクーターは、雪道を走れるようにはできていないんですよ。
「いや、今回の企画には『パドック』の店長がスポンサーになってるからな。スパイクタイヤやチェーンを貸してくれるそうだ」
「はい?」
よく聞いてみますと、冬の間、遊んでいる施設の有効利用を図った市と、同じく冬場、需要のないバイクショップの店長さんが立てた宣伝用の企画なのだそうです。
それは、125cc未満のバイクならスパイクタイヤも許されますし、郵便局や新聞配達のカブはこの雪でもチェーンを履いて、元気に走り回っていますが……
「私に関わらないで下さい」
「天野……」
「雪が降ったらスクーターは風除室か物置に。そして、おこたで丸くなりつつ春を待つ。それが正しいライダーの姿です」
「天野、寒いの苦手か?」
「女性はみんなそうです」
女性は多かれ少なかれ、みんな冷え性なんです。
決して、私がおばさんくさいからではありません。
「でも、もうOKしちまったし」
「こんな事、本人の承諾も得ず勝手に決めないで下さい」
「だってなぁ、秋子さん達の分も含めて、参加費ロハにしてくれるって話だったし……」
「はい?」
「いや、日頃の感謝を込めてだなぁ……」
……ずるいです、相沢さん。
そんな風に言われたら、断るわけには行かないじゃないですか。
「ううっ、寒いぞ天野っ」
「当たり前です。だから雪国の冬を甘く見るなと言ったでしょう」
地吹雪を避けるため、途中にあったバス停の休憩所(屋根・壁付き)に一時避難です。
視界は最悪ですし、道は圧雪状態。
その上、慣れない車がアクセルをふかしたりしたのでしょう。
場所によってはつるつるに磨かれていて、あゆさんなど、除雪で路肩に寄せられた雪山に突っ込みまくっていました。
まぁ、大したスピードも出ていない(出せない)ですし、雪がクッションになってくれるので、ケガもしないのですが。
ともあれ、
「だいたい、そんな格好では寒いのは当たり前です。ダウンのコートは良いとしても、オーバーパンツ無しなんて、いくらスクーターでも膝を痛めますよ」
そもそも相沢さん、寒いのは苦手だったのでは?
「天野は完全防備だな」
うらめしそうに、相沢さん。
「当然です」
上はインナーを重ね着した上に、丈の長いジャケット。
下は2枚重ねのストッキングにパンツ、そしてオーバーパンツです。
もちろん、ホッカイロは要所に使っています。
最近は張るタイプのも出ていますから、使いやすいですね。
また、ZRの方もスパイクタイヤを履いた他、スポーツタイプのハンドルグローブを付けてあります。
大きなミトンのような外観で、通常のハンドルカバーとは違って、ブレーキレバーはカバーの外側になるように作られています。
ZRのハンドルに巨大ミトンを取り付けたようで、みなさんには受けていましたが、相沢さんが両手にはめて「うぐぅ」を繰り返したため(どうやらあゆさんの真似みたいです)あゆさんにだけは不評なようでした。
「でも、真剣にグリップヒーターが欲しいです」
これだけやっても、どうしても指先は冷えてしまいます。
実は密かに「張るホッカイロ」をグリップに張り付けて、簡易グリップヒーターにしているのですが(注:良い子は危険ですから真似しないで下さいね)それでも足りません。
やはり、寒いのは苦手ですね。
「ボクは口元が寒いよ」
そう言われるあゆさんの声は、少し震えていました。
あゆさんのヘルメットは、セミジェット。
この型のヘルメットのバイザーは、口元を完全には覆ってくれません。
走ると雪がビシビシ当たりますから、それは寒いでしょう。
「なら、これを」
襟元からマフラーを取り出して、お渡しします。
「えっ、でも……」
「念のため持ってきたものですから、遠慮しないでも結構ですよ」
口元をこれで覆っておけばいいでしょう。
余った部分は、当然ジャケットの中です。
長く伸ばしている人の髪もそうなのですが、こうやってちゃんとしまっておかないと、巻き込み事故の元になります。
特にあゆさんのチョイノリは、駆動チェーンが露出しているのですから。
「うぐぅ、暖かいよ」
「それはまぁ、天野の胸元にしまわれていたものだからなぁ」
?
……何だか相沢さんの様子が変ですね。
何かを堪えているような……
「ありがとう、美汐ちゃん」
「いえ、どういたしまして」
私も以前、セミジェットのヘルメットを使っていて経験がありますからね。
あの時はバンダナを巻いてみぞれを凌いだ……
「あまのーっ!!」
「きゃああああぁぁぁぁぁっ!?」
いっ、いきなりなんです!?
「天野ー! 俺にもぬくもりをくれー!」
「あっ、あの、相沢さん!?」
だっ、抱きつかないで下さい。
「きゃうっ」
どこを触っているんですか!
「うぐぅっ! 寒さで祐一君がおかしくなった!!」
「あーまーのー!」
「いやああああっ!!」
「あー」
頬をかく相沢さん。
「悪かった」
「相沢さんは人でなしです」
「いや待て」
「極悪人です。強姦魔です。人類の敵です」
「待て待て」
慌てて手をぶんぶんと振る相沢さん。
その手には、私から無理矢理強奪したホッカイロがありました。
「そもそもこれは、ホッカイロをもみ込むことで温度を極限まで上げ、天野が自ら手放すよう仕向けるという高度な作戦であって……」
「そんなことの為に人を剥いた上、全身をまさぐったわけですか」
「そう、いわば『太陽と北風』作戦! ……私が悪うございました天野様」
私の氷点下の視線に、慌てて謝ります。
大体、言って下さればホッカイロぐらい差し上げますよ。
まだ予備はあるんですから。
「いや、あまりの寒さに判断力が低下したんだ。みんなこの吹雪が悪い」
「こんな吹雪の中に、私を引っ張り出したのは相沢さんです」
「それはそうだが……」
「大体、途中から目的が変わっていませんでしたか?」
息は荒くなるし、止めようとするあゆさんを全く意に介さず、人を押し倒すし。
「いや、天野の身体が暖かかったんで、ついつい」
頬ずりするし、首筋に顔を埋めて髪の匂いをかいだりしましたし。
「何て言うか、極寒の中で得られた天野のぬくもりが……」
そっ、それに首筋に相沢さんの唇が触れていたような……
「………」
「うぐぅ」
「とっ、とにかく、相沢さんは人として不出来です。それはもう、根本から!」
「うむ、なんだかそんな気もしてきたぞ」
「気がするのではなくて、そうなんです!」
「う、うむ」
はぁ、もういいです。
雪も小降りになってきましたし、予備のホッカイロを身に着けたら、さっさと出発しましょう。
「大丈夫? 天野さん」
○山スポーツセンターで心配そうに私を出迎えて下さったのは、香里先輩でした。
「あまり、大丈夫ではないかも……」
やはりこれは体質でしょう。
身体が冷え切っていて震えが止まりません。
一方で、相沢さんとあゆさんは、暖かな建物に入ったとたん、現金にも復活してしまいましたが。
……子供は元気で羨ましいです(はぁ)
「お昼、準備にまだかかるから、お風呂入ったら?」
「えっ、使えるんですか?」
「ええ、冬に集客するためにシャワールームを改装したそうよ」
香里先輩に手を引かれ、お風呂へ。
私の手を包み込んでくれる先輩のぬくもりが、涙が出るほど嬉しかったです。
でも……
「さぁ、天野さん」
「えっ、あの……」
「ああ、動かないで。脱がせづらいじゃない」
私の服を脱がせてゆく香里先輩。
え、ええっ!?
「じっ、自分で出来ます!」
「そのかじかんだ手で?」
「そっ、それは……」
「いいから任せなさい」
そう言えば、栞さんから聞いたことがあります。
お姉ちゃんは、心配性な上、世話好きで困ると。
「あのあの、あの……」
「ほら、ぐずぐずしてたら風邪ひくわよ」
……そして、そうなった時の香里先輩は、凄く強引で、逆らうことを許さないと。
その時は、栞さんを想うがゆえの微笑ましさを感じたのですが、まさか自分がその対象になるなんて。
「さ、天野さん」
「だ、ダメです。香里先輩っ!」
っ! いやああああっ!!
「ぐすっ」
剥かれました。
あまつさえ、全身を洗われてしまいました。
背後から抱かれるように、湯船に浸かって……
そ、そのっ、背中に香里先輩の柔らかな体が触れてます。
「……もう、お嫁に行けません」
「だったら、あたしがもらってあげるわ」
「……はい?」
「言葉通りよ♪」
……私、そういう趣味は無いのですが。
結局のぼせ上がってしまい、香里先輩に更にお世話をされてしまう口実を与えてしまったのは絶対に秘密です。
そして、お昼。
秋子さん達が用意してくれていた豚汁は、身体を暖めてくれるようでとてもおいしかったです。
……これで私の左右に陣取った香里先輩と相沢さんが、私に「ふーふーあーん」で食べさせようとしなければ、言うことはなかったのですが。
To be continued
■ライナーノーツ
>グリップヒーターが欲しいです
これは寒い時期には本当に欲しい。
純正オプションが用意されていない場合は汎用品を使うのですが、自分のマシンに対応しているか確認が必要。