この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
 バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。



「給油しますか……」

 燃料計のエンプティが点いてから、30キロ。
 平地ならあと5キロは保つはずですが、この先のスタンド事情を考えると、余裕を持って給油した方が安心です。

 ウィンカーを点けた上、ブレーキレバーを数度、軽く握って後続に注意を促してから減速。
 田舎の国道沿い、個人経営のこぢんまりとしたガソリンスタンドに滑り込みます。

 このスタンドのご主人でしょう、かくしゃくとした様子のご老人がいらっしゃるまでに、センタースタンドを立て、キーをひねってメットインを開けます。
 ZRは、シート下に給油口があるため、メットイントランクを開けないと給油できませんから。

「レギュラー満タンで」
「現金で?」
「はい」

 脱いだグローブをフロントポケットに入れ、お財布を用意しながら答えます。
 と、ZRのナンバープレートを見たのでしょうか、ご主人がわずかに首を傾げられました。

「嬢ちゃん、どこ行くんだい?」
「いえ、今から華音市に帰るのですが……」
「なら急いだ方がいいよ」
「はい?」

 ご主人につられる形で、空を仰ぎます。

「一雨来るから」



美汐のスクーター日記
『残夏の雨』



「さすがご主人、地元の方です」

 全身を叩く激しい雨に、思わず感嘆の声が漏れます。
 あれから十数分。
 ぽつぽつとバイザーに当たる雨に、ご主人の言葉もあったので早めにレインコートを身に着けたのですが、結果はこの通り。
 小さな峠一つ越したとたん、豪雨に遭ってしまいました。
 天気予報は晴れだったし、つい先ほどまでは、そんな素振りも見えなかったのですが。

「あなたは水浴びした方が、調子いいんでしょうけど」

 登り坂を、ぐいぐいと登って行くZR。
 この夏、暑さに駆動系がたれてしまうため、センタースプリングを社外品の耐熱性の高いものに替えました。
 結果、症状は緩和されましたが、やはりこうやって雨に冷却された方が調子はいいようです。
 無論、雨飛沫が吸気のエアフィルタにかかるほどになると困りますが、エアフィルタは雨に強いノーマルのままですし、よほどのことが無い限り大丈夫でしょう。
 以前乗っていたJOGスポーツでは1回だけ経験がありますが、あれはこの地方を襲った集中豪雨によって冠水した道でのことでしたから。

 一方、マフラーの方に目をやりますと、この豪雨の中でも全く濡れていない様子が見て取れます。
 飛沫がかかった端から蒸発してしまうのですね。
 排ガス規制のため触媒が入れられた純正マフラーですが、恐ろしいほどの発熱です。
 駆動系の熱ダレも、そして先日、リアタイヤのバルブの付け根からエア漏れして修理しなければならなかったのも、これが原因ではないかと疑っています。
 長距離を走ると、マフラーからの輻射熱でホイールが触っていられなくなるほど熱くなってしまいますし。
 仕方がないので、放熱の妨げになるだけの純正マフラーカバーを取り外したり、断熱材を利用したりと、試行を繰り返している所です。
 上手く改善できるといいんですけどね。

 それにしても……

「CDI以外はノーマルという主義だったのですが」

 まぁ、今回手を入れた部分は、パワーやスピードを上げるようなものではないので、良しとするしかないですね。

 ちなみにカスタムされたスクーターでは、その改造度合いが進むにつれてスクーターの発熱自体が馬鹿にならなくなり、夏でなくとも数十分の全開走行で熱ダレが起こるようになります。
 耐熱性を強化したり、冷却性能を上げたりといった対策もありますが、基本的に長距離のクルージングに耐えられるものではないのです。
 私のZRがCDI以外、フルノーマルだったのは、こういった実状もあってのことなのです。


「……っと、追いついてしまいましたか」

 登りを終えた辺りで、先行車に追いつきます。
 ここから先は、九十九折りの細い下り坂が続く難所。
 普段なら、原付スクーターに追いつかれてしまうような車など邪魔なだけなのですが、今回はこの雨です。
 前の車に合わせてゆっくりと、安全運転するようにしましょう。
 幸い、相手は普通の乗用車。
 飛沫が酷く、後続に付くと始末の悪いトラックやバスではありませんから。

 なお、単車と車では、その運転特性が違います。
 車の後ろに付く場合は、十分に車間距離を取って、それを吸収するのがベストですね。
(特にこんな状況では)
 まぁ、隙間があると前が詰まっていても無理に追い越しをかけようとする車も居ますが、その時はその時で。

 私は、十分な車間距離を取って、前車に続こうとしたのですが……

「原付スクーターに、道を譲りますか!?」

 何もない道路際に、ウィンカーを点けて停車する車。
 これは明らかに道を譲られています。

 何でこういう時に限って、と思いますが、そういえば最近こういうことが多くなったのを思い出します。
 以前乗っていたJOGスポーツより、トップスピードが速くなったせいでしょうか?
 それとも白く大柄で、ライトも明るいZRが目立つせいでしょうか?
 まさか、またあの「白き追撃手」とか「華音峠の白い悪魔」とかいう根も葉もない噂が広まっているのではないでしょうね。


 ……ともあれ、停車した乗用車をパスして、下りに入ります。

「嫌なんですけどね」

 比較的安定している4輪とは違い、少しでも滑ったらアウトですからね。
 安全のためゆっくり行きたいところですが、あんまりのんびりしていると後続にあおられたりしてかえって危険ですし、原付スクーターは大変なんです。
 大体、雨の路面は滑りやすい上、『安全に曲がれるスピード』を見極めにくいものなので。
 ここの峠のような中低速コーナーでしたら、乗用車が普通に曲がるスピードは十分安全範囲なので、先行車が居ればそれに合わせるのですが。

「無い物を、どうこう言っても始まりません」

 覚悟を決めて、突入します。
 ですが……

「川になってますよ……」

 山間の道にはありがちですが、あふれた雨水が道を流れて行っています。
 水溜まりは極力避けたい所ですが、これでは溜まっていない所を探す方が難しいです。

「……っ、まぁ、でもっ、何とかっ」

 降り始めですから、まだ道路に石や砂、木の葉などが流れていないだけマシですね。
 タイヤの溝はまだまだ残っていますから、排水性能にも不安はありませんし。
 流石に、水溜まりに突っ込んで普段通りにグリップするかというと否ですが。

 なお、レース志向のハイグリップタイヤも市販されていますが、これはドライ専用と言っていいくらいのものなので、ウェットな路面ではグリップしてくれません。
 また、暖まらないとノーマル以下の性能しかありませんし、基本的にコンパウンドが柔らかいので、荒れた路面を走るようにはできていません。
 私のように様々な路面で安定した性能を求めるなら、ノーマル、もしくはツーリング志向のタイヤが一番ですね。
 それよりは、空気圧や摩耗などに気を使いたいところ。
 空気圧が適正でなかったりして路面抵抗が増えますと、非力な原付では、トップスピードや加速などに体感できるほどの差が生じます。
 この辺、無頓着な人が多いんですけどね。


 ともかく、あまりバンクは取らないよう、気を付けながらコーナーをこなします。
 ちらりとミラーをうかがえば、後続は付いて来られないでいる様子。
 少しペースが速すぎますか?

 次は、確か縦溝が掘られた道。
 道路補修のためか、排水のためか知りませんが(大抵その後、補修されるので前者だとは思いますが)所々で見られるこの道路。
 2輪からは嫌われています。
 高速で突入するとハンドルが取られますし、接地面積が減りますから、グリップしないんですよ。

「っ!」

 ズッ、ズッ、とお尻の下で嫌な感触。
 リアタイヤが滑りかけてます。
 やはり縦溝に雨では、かなりグリップが落ちるようです。
 十分減速してからコーナーに入る走りに、切り替えた方が良さそうですね。
 どうせ後続も追いついて来ないことですし、この雨です。
 ブレーキや駆動系が過熱することもないでしょう。


 そうこうしている内に、更に前の車に追いついてしまいました。
 特徴的なテールランプに、Rの文字?

「……って、GTRじゃないですか!」

 スカイラインGTR。
 車には一切興味のない私でも、流石に知っている有名な車です。
 しかもやたらと太いマフラーから響き渡る重低音、あからさまな走り屋仕様です。

「何でこんな所に……」

 峠にも色々ありますが、走り屋と称される人達が好むのはもっとスピードの出せる、広い、高速のコーナーがある所。
 無論、昼日中から峠を攻めるわけがありませんし、ただ単に移動途中ってだけでしょうが、このタイミングでは出会いたくありませんでした。
 ここから先、酷く狭い低速コーナーが連続するんですよ。

「なるべく車間距離、取りましょう」

 スクーターは、車とは旋回性能が違いますし、車が難儀するような狭い道でも車線幅いっぱいを使ってライン取りができますから、ここのような低速コーナーでも車ほどスピードを落とす必要はありません。
 加えて車重が軽いため制動距離が短く、その後の再加速もスムーズに行えますし。
 つまり、こんな状況で車の後ろに付いていると、コーナーでもたつく車に邪魔をされるため、車間距離を取って、その辺を吸収するのがセオリーなのですが……

 この場合はそうではなく、下手に刺激したくないということです。
 しかし、

「無駄でしたか」

 GTRのエンジンが吼え、重低音が響き渡ります。
 原付スクーターに追いつかれたのが、よほど腹に据えかねたのでしょう。
 こんな細い曲がりくねった道、自分の車には向いていないということが分からないのでしょうか?
 それとも、原付スクーターには、街でおばさんがとことこ走っているイメージしか持っていないのでしょうか?
 多分、両方、なのでしょうね。
 どうせ、ここの峠を抜ければ、直線で一気に置いて行けるのですから、ムキにならなくとも良いと思うのですが。

 まぁ、なまじ速い車に乗っているため、背後に張り付かれるのに慣れていないということもあるのでしょうけど。
 こちらもぎりぎり何とか付いて行っている状態なのですが、多分、それが分かってないのでしょうね。
 加えて、直線で離されるのをコーナーで詰めている形ですから、プレッシャーがかかるのかも。

「それにしても、ずっと聞いていると耳に障る音ですね」

 GTRのエンジンは、いい音をさせてはいるのですが、かと言って長時間聞いているには向かない音でしょう。
 耐久ラリー用のバイクなどでは、走行性能だけでなく静粛性も求められるのだそうです。
 長時間乗るには、静かな方が人間には良いということなんですね。
 バイクの改造にありがちな五月蠅いチャンバーなどは、乗り手にも負担を与えるものなのです。

「あ、切れましたね……」

 細く曲がりくねった道に強力なエンジンパワーを持て余していたGTRでしたが、とうとうドライバーが切れてしまったようです。
 センターライン無視でショートカットし始めました。
 もとより、比べる事自体間違いな性能差ですし、そんな危険行為につきあう気もありませんから、あっという間に置いて行かれます。

「事故、起こさなければいいのですが」

 見通しの利く所で対向車が無いのを確認した上でのことでしょうが、少し心配です。
 私は私のペースで、少し慎重に走ることにしましょう。

「帰ったら、この子の汚れを落として…… 私もお風呂、入りたいですね」

 雨の中の走行は大変ですが……
 どこか、いつもより楽しんでいる自分が居るのが不思議でした。

「……夏の名残の暑さも、こうして一雨ごとに洗い流されて行くのでしょう」


 相沢さん達と知り合って、初めての秋がもうすぐやって来ます。



To be continued




■ライナーノーツ

 美汐が交換した社外製センタースプリングがこちら。

 カスタムしてないのでノーマルレートです。
 しかし、これに替えてもやはり熱ダレはしましたねぇ。

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