この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
 バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。



 それは、スクーターで商店街にお買い物に出かけた時の事でした。
 たまたま出会った相沢さんと香里先輩から声をかけられ、百花屋にご一緒させていただくことになったのです。


「なぁ、天野」
「はい?」

 ハーブティーをテーブルに戻しながら答えます。
 ちなみに相沢さんはいつものブレンド、香里先輩はアイスティーでした。

「何でおばさん達って、夏でもハンドルカバー付けてるんだろうな。暑くないのか?」

 相沢さんの視線を追って窓の外に目を向けると、私のZRの隣、ハンドルに白いカバーを付けたYAMAHAのMintが停めてありました。

「……相沢さん、あれはサマーハンドルカバーと言って、日除けの為のものですよ」
「そうなのか?」
「はい。日焼けを防いだり、停車中にハンドルが熱くならないようにするものです」
「なるほど。G2型恒星の輻射熱は強力だからな」
「何なのよ、それは」

 呆れた表情の香里先輩。
 まぁ、相沢さんがこうなのはいつものことですが、それはそれとして……

「相沢さん」
「うん?」


「なぜそれを、私に聞くのですか?」



美汐のスクーター日記
『夏本番』



「い、いや、別にからかおうとしたわけじゃないぞ」
「それでは、素で『私はおばさんくさい』という認識なのですか?」

 そちらの方が、よほど酷というものです。

「いや、違うって、天野は物知りだから知ってるかと思ったんだ」
「……おばあちゃんの知恵袋とでも仰りたいのですか」
「ぐぁ……」

 もういいです。
 相沢さんが私のことをどう思っているか、十分に分かりましたから。

「まぁまぁ、天野さん」

 そんな私を見かねたのか、香里先輩がフォローしてくださいました。

「日焼け対策がおばさんだけのものだなんて思ってる相沢君の方が、よっぽどおじさんくさいんだから、気にしないでいいわよ」
「はい……」
「むぅ、そうなのか?」
「少し回りを見てみれば分かるでしょ」

 言われてみると、そうですね。
 ここが雪国だということを差し引いても、相沢さんの周囲にいらっしゃる女性は、みなさん色白で綺麗な肌の方ばかり。
 例外は、外で遊び回ることの多いあゆさんと真琴ですが、お二人には健康的に日焼けした肌がお似合いですから。

「でも、名雪なんて……」
「あの子は例外。髪の毛もそうなんだけど、基本的にメンテナンスフリーの身体なのよ。陸上で走り回っているっていうのに、全然日焼けしないんだから」

 それは、うらやましいことです。
 と言いますか、猫毛に悩まされ、肌も弱い私にとっては、ほとんど反則に思えます。
 さすが、あの秋子さんの娘さんだということでしょうか。

「ずるいわよね。私なんて、この時期、日焼け止めが欠かせないって言うのに」
「あ、先輩はどこのものを使ってるんですか?」
「私? A社のノンケミカルのやつだけど、天野さんは?」
「私もノンケミカルですが、A社のものは肌に合わなくて、B社のものを使っています」
「ああ、天野さんの肌って、繊細そうだものね」
「そんな、ただ弱いだけですよ」
「……ねぇ、触ってみていい?」
「は、はい。 かまいませんが……」

 香里先輩の指が、頬をなぞります。
 な、何だか、変な感じですね。

「ほんと綺麗ね」
「そ、そうですか?」

 私の顔を覗き込んでいる先輩のお顔の方が、よほど綺麗だと思うのですが。

「触ってて気持ちいいわ」
「あ、あの……」
「肌理も細かいし、いいわね〜」
「でも、すぐ跡がついたりしますから……」
「白くて敏感だから、そういうのが目立つだけよ」
「そんな……」
「ふふっ、ほら、照れると真っ白な肌がさぁっと色づいて……」

 そ、そんな恥ずかしいこと言わないで下さい。


「うぐぅ……」


 相沢さん?
 慌てて振り向くと、女性同士の会話に入ってこれなかったのか、いじけている相沢さんの姿がありました。


「相沢さんだって、スクーターに乗っていて、日焼けで酷い目にあったことがあるんじゃないですか?」

 気をとり直して、お話を元に戻します。

「そうだなぁ、暑かったんで、Tシャツと短パンで走って、後で死ぬ目に遭ったことがあるぞ」

 基本的にスクーターは、ヘルメットとグローブ、衣服以外、日の光を遮るものがありませんからね。

「姿勢が固定されているから、腕なんて外側の面だけこんがりだからな。見事な土方焼けになっちまうし、散々だったぞ」

 それに、スクーターで日焼けすると、グローブの跡がくっきり付きますし。

「真夏の直射日光の下では、日焼け止めも焼け石に水ですからね。肌を出さないようにするしかありませんよ。あと襟付きの服で首筋を守るのは基本ですよ」
「ああ、だから最近は長袖のシャツを使ってるぞ。行った先で何かをするなら、Tシャツの上に羽織ってスクーターを降りたら脱ぐようにしてるし、そうでなければ素肌の上に直接着込んでる。これはなかなか涼しいぞ」
「はぁ、男性は、そういう所が羨ましいですね」
「何だ? 天野だって……」

 本気で言っていますか?

「あのねぇ、相沢君。基本的に女性は男性より上は1枚余計に着込まなくちゃいけないのよ。夏になって薄着になると、線が出ないように気を遣うし」

 呆れたように言われる香里先輩の頬も、うっすらと赤くなっています。

「線? ああ、ブラ……」
「相沢君!」
「わ、分かった。俺が悪かったから、握り拳を作るのは止めてくれ」

 本当にこの人は……
 女性の前だということを、少しは気にして欲しいです。


「しかし、涼しい格好ってのはないのかな」
「最近の流行はフルメッシュのライディングジャケットだそうですよ」
「ふぅん、なかなか良さそうだな」
「高価ですけどね」
「むぅ」
「それに、いずれにせよ汗はかきますから、こまめな洗濯は必要です」

 1シーズン洗濯しないという勇者もいらっしゃるそうですが、少なくともそんな方に私は近づきたくありません。

「……パスだな。そんなに頻繁に洗ってたら、1シーズンで終わってしまいそうだし」
「そうですね、こういうのはたまの休日にツーリングを楽しむような方々向きでしょう」

 本当は、安全のことを考えると、夏でもライディングジャケットを着ていた方がいいんですけどね。

「他には、速乾性の素材を使った衣類も売られていて、なかなか快適と聞きますが……」
「ん、何か問題でもあるのか?」
「基本的に登山用なので、あまり良い色やデザインのものが無いのです」

 最近、少しはましになったと言われていますが、女性の目から見ると、やはりまだまだという品が多いです。
 本来の目的である登山ならともかく、スクーターで、街で使うには向きません。

「結局、通気性が良く、汗がべとつかない素材で、ゆったりとしていて風通しの良い長袖の服を選ぶしかないんじゃないの?」

 香里先輩のご意見は一般論ですが、だからこそ真実でもあります。
 砂漠に住む方々はそのようにしておりますし。
 ちなみに、白い布は光を吸収しないので涼しい反面、本当に強い日差しの元では日光が透過してしまいますから、注意が必要です。
 反対に、黒や、濃い色の服は日光を吸収するため、暑苦しい反面、肌を日焼けから守ることができます。
 イスラム圏の女性が黒い服ですっぽりと肌を覆っているのは、美容上、理にかなったものなんですね。

「んー、ただ、あんまりばたつく服は却下だぞ。特に袖口はきっちり絞らないと、風圧でずり上がって来るからな」
「その口振りだと、何か経験があるのかしら?」

 さすが、鋭いですね香里先輩。
 おそらくは……

「ずり上がった袖口とグローブの間を帯状に焼いてしまったのですね?」
「うぐぅ……」

 当たり、ですか。


「一度聞いてみたかったんだけど、二人とも、あんなすっぽりとヘルメット被ってて暑くないの?」

 香里先輩が不思議そうな顔をして聞かれます。
『すっぽりと』、というのは、私達が使っているジェット型のヘルメットを指して言っているのでしょう。

「ええ、ベンチレーターがありますからジェットでも風通しはいいですよ。一流メーカーの品なら特に」
「そうだな、逆にスクーターにありがちな半キャップは、ベンチが付いてないから、かえって蒸れるぞ」

 顔をしかめる相沢さん。
 ご経験があるのでしょうか?
 涼しそうでいて、実は涼しくないのが半キャップですからね。
 ……あみだや亀の子にしている人は論外ですが。

「それにジェットなら、UVカットのバイザーが付いていますから」

 日差し対策も万全ですね。

「まぁ、香里の場合は、乗るんだったら髪を気にした方がいいぞ」
「えっ?」
「安全と、あと排ガスの匂いを付けないためにも、髪の毛は露出させない方がいいですね。私ぐらいならジェット型のヘルメットを被れば大丈夫ですが、香里先輩の場合だと、服の背中に仕舞わないと」
「……考えただけで暑そうね」

 それはもう、純毛100%ですから大変です。

「でも、香里先輩のような綺麗な髪を痛めるのはもったいないですから」
「そ、そうかしら」

 先輩の長い髪は、密かに私の憧れなんですよ。


「あんまり暑いと、スクーターの方にも色々と影響が出てくるしな」

 先ほどのお肌のお話のように、置いて行かれることを嫌ったのでしょうか?
 スクーターのお話へと、軌道修正を図る相沢さん。

「そうですね。夏場、山に行ったりすると、冬は普通に登れた坂でもスローダウンしたりしますから」
「そうなの?」
「ええ、元々、山では標高が高いせいで空気が薄く、燃料と酸素のバランスが崩れてパワーが低下するのですが……」
「夏は暑さで空気が膨張して、ますます酸素が足りなくなるからな」

 スクーターのエンジンは平地で合うように調整されていますから、極端に環境が変わるとセッティングが狂ってしまいます。
 ノーマルのマシンならその辺も考慮されていますからパワーダウン程度で済みますが、カスタムされたスクーターなどでは、最悪、走れなくなりますからね。

「暑いですからエンジンも過熱しやすい状況にありますし、熱で駆動系がたれてきますと、ロスが生じたり、変速タイミングが狂ってパワーバンドを外す…… 力のあまり出ない回転数でエンジンを引っ張ってしまうため、ますますスピードが低下してしまいます」

 酷い時には、急坂とはいえフルスロットルでも速度が30キロを割りますからね。
 私は「たれZR」と呼んで、一緒にまったりすることにしていますが……
 いえ、焦ってもしょうがないので。

「まぁ、CDIを替えた程度のノーマル車なら、全開走行で長時間引っ張ったり、急坂を延々と登ったりしない限りは起きないものなのですが」
「天野の運転だしな」
「相沢さん……」

 一概に否定できない所が、何だか悔しいです。


「でも、排ガス規制後のスクーターは、以前より暑さに弱くなったような気がします」

 百花屋を出ると、夏の熱気が私達を迎えました。
 日向に停められていた私のZRも、かなり熱くなっているようで、少しうんざりです。

「触媒が入れられたマフラーは、離れていても熱が感じられるぐらい過熱しますから。エンジンや駆動系に悪影響を与えていそうで、怖いです」
「目玉焼きが焼けるぐらいか?」

 いたずらっぽく笑う相沢さん。
 そういえば、そんなCMもありましたね。
 あれは車でしたが。

「と言うより、カバーを外せばマフラーでジンギスカンができますよ」
「あぅ、じんぎすかんって?」
「ジンギスカンというのはですね、山なりになった鉄板の上に、羊の肉を乗せて焼くお料理で…… って、真琴!?」

 いつの間に現れたのですか。

「あぅー、おいしそう」
「そうだな、めちゃくちゃうまいぞ。特にツーリングで行った先で、自然に囲まれながら食うジンギスカンときたら……」
「相沢君、何煽ってるのよ」
「いや、だってジンギスカンって言ったら屋外だろ」
「それはそうだけど、問題が違うでしょ」

「あぅ〜」

 いけません、真琴、完全にトリップしています。
 このままでは、本当に……

「あぅ〜、美汐ぉ……」
「ほら、真琴も食いたがってるぞ」
「わ、私にこの子(ZR)のマフラーで、ジンギスカンを焼けと言うのですか!?」

 そんな、酷なことはないでしょう。



To be continued



■ライナーノーツ

 サマーハンドルカバーはYAMAHAから出てますね。

 こんなの。
 日焼けしたくない若い女性には密かに人気だったり。


 暑い時期にはメッシュのジャケットが欲しくなるものです。
 しかし、これには大きな弱点が。
 そう、暑い時期と言ったら虫の季節。
 これを着て虫の群れに突っ込むと、虫の地引網と化し、滅茶苦茶キモイことになるのでした……

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