この物語はフィクションであり、登場する人物・地名・団体名はすべて架空のものです。
 バイクの運転は交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。



「天野、ツーリング行かないか?」

 相沢さんの、この一言が全ての始まりでした。



美汐のスクーター日記
『ツーリング日和』



「ツーリング、ですか? ……いつもながら唐突ですね」
「そうか? 最近いい天気だからな」
「良い天気だと、相沢さんは誰彼構わずツーリングに誘うんですか? 同じスクーターとはいえ、私は原付で相沢さんは100ccじゃないですか。ペースが合いませんよ」

 相沢さんが以前通っていた学校では「バイク」は禁止ですが、「スクーター」は通学のために許可されていたそうです。
 相沢さんも、スクーター……YAMAHAのアクシスを使われていたそうで、冬が明けると同時に、こちらに持って見えました。
『本当はビッグスクーターにしたかったんだが、さすがに許可が下りなかったんだよな』
 とは、相沢さんの談。

「ハンデを付けるから大丈夫だ」
「ハンデ、ですか?」
「真琴を後に乗せる。それで、行くのは山だ」
「なるほど……」

 パワー差を埋めるほど真琴は重くはありませんが、二人乗りではコーナーで無理が利かなくなります。
 特に中低速カーブが多い山道ならば、私が本気で走れば何とかなるかも知れません。

「ですが……」
「ん?」
「私、他の方と一緒に走ったことが無いんです」

 ツーリング自体は、日帰りでしたら良く行っていました。
 連れて行けとせがむ、あの子と一緒に……

「天野?」
「あ、いえ、ですからご迷惑をおかけすることに……」
「大丈夫だ」

 即座に言い切る相沢さん。

「真琴が居るんだぞ。絶対こっちの方が天野に迷惑をかけるに決まってるって」
「……あの、自信満々に言い切ることではないと思うのですが」

 しかし、否定できないのもまた事実。
 そう考えてしまう私は真琴の友人として不出来なのでしょうか……
 ともあれ、新車のJOG−ZRを受け取ってからずっと行っていた、辛く厳しい慣らし運転もようやく終わった所。
 どこかに出かけたいとは思っていましたし、真琴と一緒なら、きっと楽しい1日になるでしょう。
 結局、分かりましたと言って、その日は別れました。


 ……余談ですが、慣らし運転の必要性については、様々な説があります。
 曰く、

「工作精度が昔と比較にならないくらい良くなっているので、今のマシンには必要ない」

「工作精度が良くなっているので必要ないと言われるが、やはり必要」

「やった方が長持ちするが、車体の当たり外れや、普段の乗り方から生じる個体差と大して違いはない」
(入念に慣らし運転を施しても、その車体が外れなら、最初から全開で回している車体と大して変わらない寿命となる。所詮その程度の差)

 という具合で、何を信じて良いのやら分かりません。
 とりあえず取扱説明書には、
「25km/h以下で100km走れ」
 とありましたし、お店の人は、
「1000kmまでは、フルスロットルは控えるように」
 と言っていましたので、ほぼ忠実に守りました。

 ……途中、何度も挫けそうになりましたが。

 なお、

 30km/h以下の低速で1000km
 高速域で1000km
 全域を使って1000km

 という本格的な慣らし方法もあるみたいですが……
 一体何時間かけるつもりなんでしょうね。
 少なくとも私には無理です。
 ええ、絶対に。



 そしてツーリング当日。

「あうーっ、美汐ーっ」
「おはようございます、真琴。今日も元気ですね」
「うんっ」

 真琴はいつも元気ですが、スクーターに乗れるのが嬉しいのか、今日は5割り増しぐらいにはしゃいでいます。

「やっと祐一に乗せてもらえるんだから」
「そうですか、それは良かったですね」

 相沢さんがスクーターを持ってきた時の騒ぎは、それは大変なものでした。
 後ろに乗りたがるみなさんと、何とか断ろうとする相沢さん。
 みなさん女性ですから、軽い気持ちで乗せて、怪我でもされたら大変ですからね。
 結局、本当に必要な時には決して退かない相沢さんが、

「乗るのならそれなりの格好をして、きちんと乗り方をマスターしてから」

 ということで押し切りましたが。
 ちなみに、どなたとは言いませんが、体力や運動神経の面で不安のある方々には、未だ乗車許可は下りていないようです。
 賢明な判断ですね。


『うぐぅ』
『えぅ〜、そんなこと言う人、キライですっ』


 それはともかく、

「相沢さん、タンデムバックレスト付けたんですね」
「ああ、アクシスのタンデムシートは評判良くないからな」
「そうなんですか? レーサー系のものよりよほどしっかりしていると思いますが……」

 そんなレーサー系のバイクでもタンデムツーリングしている人はいっぱい居ますし。

「いや、ポジション的にもきついからな…… フットレストにも手を加えたし、手痛い出費だったぞ」
「?」

 少し不自然な相沢さんの口調。
 ……ああ、照れてるんですね。
 素直に真琴達のために付けたと言いづらいので、理由を付けて言い訳してるわけですか。

「……天野、何を考えているのか知らないが、それは絶対に違うぞ」
「そうですか?」
「むぅ」

 ふふっ、年上の男の方にこんなことを思うのは不躾かも知れませんが、憮然とした表情が可愛いです、相沢さん。

「……まぁいい、そろそろ行くぞ、真琴」
「うんっ、行こっ、ぴろ」
「うなぁ」

 真琴?

「おい、ぴろはダメだぞ」
「えーっ、どうしてよ」
「どうしても何も、どうやって連れてく気だ。トランクの中なんてのは不許可だぞ」
「それは…… そうだ、祐一のジャケットの中に!」
「無茶言うな。ぴろが危ないだろ」
「でもー」
「でもじゃない!」
「あぅー、美汐ぉ……」
「うっ……」

 真琴のお願いに私は弱いんです。

「真琴……」
「ダメ?」

 はぁ……仕方ないですね。

「分かりました。ぴろが入るゲージを持ってきますから、私のスクーターの荷台に乗せましょう」
「天野?」

 何か言いたげな相沢さんに、私は笑って首を振ります。
 そう、笑顔で。




 私…… ちゃんと笑えてますよね?




 さて、真琴を後ろに乗せた相沢さんのアクシスと、ぴろ入りゲージを荷台に乗せた私のJOG−ZRが連なって出発です。
 市街地を抜けて、国道を一路南へ。
 真琴の背中はちょっと強張っていて、まだ緊張しているのが分かります。
 相沢さんもそれが分かっているのか、のんびりとしたペースで流していますね。
 私もそれに合わせて、ぴろを気遣いながら走ります。

 しかし、大分暖かくなってきましたが、スクーターで風を切って走るとやはり体温が奪われ、肌寒く感じますね。
 飲み物として、暖かいはちみつレモン(自家製)を持って来て正解でした。
 春とは言え、この季節はまだ暖かい飲み物の方がいいでしょう。
 ちなみに、排ガス規制以降のバイクは、触媒のせいでマフラーがひどく過熱するようになりました。
 ここにコーヒー缶をくくり付けて暖を取る方もいらっしゃるそうですが、そこまでするなら、素直に自販機のコーヒーを買った方がいいと思うのは私だけでしょうか?
 自販機も無い、本当の山奥に行くなら別ですけどね。




「肉まん〜♪」

 途中のコンビニで、早めの休憩。
 まだ辛うじて売っていた肉まんを頬張って、真琴はご機嫌です。

「よく食えるなぁ、朝飯食べたばっかりだろ」

 呆れ顔の相沢さんは、コーヒーのショート缶を傾けています。
 無糖なのは趣味ですね。
 暖を取るという意味では、糖分を取った方がいいのですが。

 そして、私はというとコーンスープです。
 最後に粒が残るのが難ですが、私はこれが定番ですね。
 お茶やコーヒーの類は、その…… 利尿作用があるので、寒い時期の移動中には摂らないことにしています。
 お汁粉でもいいのですが、残念ながら滅多に見かけませんからね。

 ちなみにぴろにはお預けです。
 可哀想な気もしますが、動物を車に乗せてる最中には、食べ物は与えない方がいいのです。
 もっとも、ここまで全然平気な様子でしたから、要らぬ気遣いかも知れませんが……




 休憩を挟み真琴もリラックスできた所で、そろそろ本気で走り出します。
 後ろから見ていると、相沢さんに上手く合わせて、というよりは身体を預けている真琴の様子がよく分かります。
 こちらも置いて行かれないよう、本腰を入れて走らなければなりませんね。

「少しガタつくかも知れませんが我慢して下さいね、ぴろ」

 うにゃ、と返事が聞こえたのは、私の気のせいでしょうか?
 ともあれ、ペースを上げて、相沢さんのアクシスを追いかけます。
 慣らしの終わったJOG−ZRのエンジンは、吹き上がりも軽く、気持ちよく回ってくれました。




「先行くか、天野?」

 今回のルート最大の難所、某○坂峠を前に相沢さんが聞きます。
 まぁ、こちらは原付スクーターですからね。
 気を遣って下さっているのでしょう。

「はい、それではお言葉に甘えて」

 頑張って行くことにしましょう。






「さすが天野だな。登坂車線から追い越し車線の車をぶち抜くとは」
「……たまたま前に車が居なかったから、全速で行っただけです。全速と言っても上り坂で原付の全速ですよ。追い越すことになったのは結果です」
「見事なハングオンだったぞ」
「スクーターでバンクをとるのが怖いから体重移動でカバーしているだけで、あれは普通、ハングオンとは呼びません」
「下りも凄かったし」
「車の流れにペースを合わせただけです」
「前の車、コーナーじゃあタイヤ鳴らしっぱなしだったな」
「あの型の車はタイヤが鳴りやすいだけです。大したスピードじゃありませんでしたし、直線では完全に離されます」
「でも、コーナーで必ず追いつくんだ」
「……そう言う相沢さんだって、私の後に付いていたじゃないですか」
「俺も直線で詰めてただけだしなぁ」
「当たり前です。後ろに真琴を乗せて居るんですよ。コーナーで無茶ができるわけありません」
「無茶してるって自覚はあるんだ」
「真琴を後に乗せていたら、同じような運転はできないと言っているだけです」

 言っていて、だんだん情けなくなってきました。

「相沢さんには、私に合わせて走っていただいているので、せめてトップスピードが制限されるこういう所でペースを稼いでおこうと思っただけで……」
「わ、分かった。悪かった天野」

 私、そんなに落ち込んだような顔をしていたのでしょうか、少し慌てた様子で相沢さんが謝ってくれます。

「謝るくらいなら、最初から言わないで下さい」
「だってなぁ、あんな運転見せられたらな」
「相沢さん……」






 途中、そんなやりとりもありましたが、私達は予定通りお昼前に目的地に着きました。
 渡る風が心地よい、山と渓谷に囲まれた○×公園です。
 ようやくゲージから解放されて駆け出すぴろを、真琴が追いかけます。
 私と相沢さんは、芝の上にグランドシートを敷いて、秋子さんが作ってくれたお弁当を広げました。
 本当、いい天気で良かったです。



「なぁ、天野……」

「相沢さん?」

「ぴろを入れてたゲージって、もしかして……」

 不意に見せる真剣な表情。
 相沢さんが、私のことを気遣って下さっているのが分かります。
 だから、私もちゃんと答えることができました。

「ええ、あの子を連れ出す為に使っていたものです」




 私がスクーターに乗り始めたのは……
 最初はあの子を病院に運ぶためでした。

 怪我をしたあの子を拾った晩、両親はいつものように仕事で居なくて、この街の獣医さんはその日休みで。
 今にして思えばタクシーを使えば良かったんでしょうけど、動転していた中学生の私は、そんなことにも気付かなくて。
 とにかく、隣町の獣医さんに連れて行くために、まだ小狐だったあの子をジャケットの懐に入れて、無我夢中で父のスクーターを走らせたんです。
 ……本当はいけないことだったのでしょうけど、おかげであの子は助かって、本当に嬉しくて。
 それから、獣医さんに通うのに、いけないこととは思いましたが使うようになって。
 そしたらあの子も乗るのが気に入ったのか、私が外に出ようとすると、スクーターのバスケットに飛び乗って催促するようになって。
 あんな瞳で見つめられたら…… 無碍にすることもできなくて。

 色々な所に行きました。

 春も、

 夏も、

 秋も……


 でも、あの子は……



「悪かった、な……」

 短く、呟くように相沢さん。

「いいんです。おかげで、あの子との楽しかった思い出も思い出せましたから」

 強がりではなく、今は本当にそう思えます。

「私はあの子を失ってしまいましたが…… あの子がくれた、大切なものまでなくしたわけじゃなかったんですね」

 たとえ、あの子と二度と会うことができなくても、私があの子のことを覚えている。
 あの子が私の側に在ったということが、これからも私を支えてくれる。
 春も、夏も、秋も、
 そして冬も。
 あの子がくれた、思い出と言う宝物が。
 私に優しさと、愛おしさと……
 前に進む勇気を与えてくれる。

「それを思い出させて下さった相沢さんと真琴には、本当に感謝しています」

 降り注ぐ日差しが、春の柔らかい風を運んできます。

「ゆーいちー、みしおー!」

 真琴が呼んでいます。
 ふっと目を細める相沢さん。
 私も同じような表情を浮かべてるんでしょうね。

「行くか」
「はい」


 そして、私達は歩き出す……



To be continued



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