「ここ……」

 幼い頃、アキトと一緒に遊んだ稲荷神社の境内。
 少女は、確かにここの鳥居をくぐって行った。
 樹齢100年以上と噂される御神木の枝が、暗い影を作っている。
 ユリカは意を決して、鳥居をくぐった。



〜まねっこきつね〜(後編)



「何? オモイカネ」

 御神木の幹に身体を預け、少女は囁く。

「そうね、もうお賽銭も無くなっちゃうし、何とかしなくちゃね」

 月明かりに照らされ、少女の髪が銀に輝く。
 いや、月明かりのせいではない。
 少女の髪は、本当に自ら光を発するかの様に、銀光を放っていた。
 そして、御神木の幹にそっと添えられた手の甲に浮かび上がる紋様。
 がさっ!

「誰!」

 一瞬にして、少女の身体から銀の輝きが失せる。

「あ……」

 茂みの影から現れるユリカ。

「見たんですね……」

 淡々とした少女の声が、ユリカの心臓を鷲掴みにした。

「あなた誰なの」

 少女はわずかに目を細め、そして言った。

『あなた誰なの』

「え?」
『え?』
「何を……」
『何を……』
「真似しないで!」
『真似しないで!』

 ………!!
 思い出す、ユリカ。

「まねっこきつね……」

 少女は微かに笑った様だった。

『……まねっこきつね』



「おーい、ユリカ!」

 代金を払い忘れたユリカを追って店を出たアキト。

「確かこっちで声が……」

 神社の境内に出たアキトは、ユリカの向こうにあの少女の姿を見つけ、驚く。

「君は……」
「アキトさん」
「どうしたの、こんな所で」
「アキト……」

 ユリカが口を開くより前に、少女の身体がアキトの胸の中に飛び込んで来た。

「助けてアキトさん!」
「なっ……」

 絶句するユリカの前で、きゅっとアキトの身体を抱きしめる。

「ちょ、ちょっと!」

 慌てるアキト。
 子供だとばっかり思い込んでいた相手の身体が、ことのほか柔らかなことに戸惑う。
 思わず顔が赤らんだ。

「私が歩いてると、後ろから付いて来る人が居て……怖くなってここに逃げ込んだんです。そしたら……」

 ちらりとユリカを見る。
 それでアキトにも合点がいった。

「ユリカ、お前!」
「違うのアキト、話を聞いて!」
「何が違うんだよ、こんな小さな女の子を怖がらせるような真似をして、お前、恥ずかしくないのか!」
「違う、アキト、その子『まねっこきつね』だよ!」
「何?」
「だから『まねっこきつね』! アキトだって覚えてるでしょ、神社の境内で遊んでるといっつも出て来た、人の真似しか言わない変な女の子!」
「………!!」

 目を見開くアキト。

「思い出した! そうだよ、どっかで会ったことがあると思ったら、あの時の子に似てるんだ」

 そして、いくら名前を思い出そうとしても思い出せなかったわけである。
 自分は、あの子の名前を聞いてはいないのだから。

「違う、アキト、似てるんじゃなくて、本人! その子が『まねっこきつね』なんだよ!」
「はぁ? 何言ってるんだお前? 第一、年が合わないだろ」
「だから問題なんじゃない、その子人間じゃないよ!」
「ユリカ…… お前、頭大丈夫か?」
「とにかく、その子から離れて!」
「お前、いい加減に……」
「いいです、アキトさん」

 静かにアキトから離れる少女。

「アキトさんのお知り合いだったんですね。失礼な勘違いをしてごめんなさい」

 ぺこり。
 呆気にとられるユリカに、少女はそう言ってのける。

「君が謝ることないって」
「いえ、もういいんですアキトさん」
「アキ……」

 口を開きかけるユリカだったが、きつく自分をにらむアキトの視線に何も言えなくなる。

「アキトさん、明日、お仕事何時に終わります?」
「明日? いつも9時過ぎになっちゃうけど……」
「それじゃ、ここで待ってますから、ちょっとつき合ってもらえますか?」
「えっ、だって、そんな夜遅く、危ないよ」
「私は大丈夫ですから。きっとですよ」
「あ、ちょっと……」

 小走りに駆けて行く少女。

「あ……」



 そして、次の晩……

「やっぱり来たんですね」

 稲荷神社の境内に現れたのは、アキトではなく袴姿のユリカだった。
 その手には弓と矢。
 御統家は元々、軍人、武家の家系。
 ユリカは幼い頃から弓道を修めていた。

「アキトさんは?」
「アキトは来ないわ」
「アキトさんに何かしたんですか?」

 少女の声に、かすかに非難の響きが混じる。

「お友達に頼んで、閉店間際のお店にいっぱい入ってもらっただけよ」

 思わず答えてしまうユリカ。

「良かった……」

 ほっと息をつく少女。
 それが、ユリカの神経を逆なでする。

「アキトをたぶらかしておいて、何を言うの?」
「私はアキトさんに、危害を加えるつもりはありません」

 少女はうんざりとした様子で答える。

「それでもですか?」
「あなたなんかに、アキトは渡さない」
「……そういうことですか」

 弓を引き絞るユリカ。

「破魔矢…… 矢尻が付いていないとはいえ、当たったらケガしますね」

 他人事のような口調で少女が言う。

「正体を現しなさい妖怪!」

 ユリカの声に応えるかのように、少女の髪が銀光を放ち出す。
 そして少女は、ユリカの言葉をそのまま繰り返した。

『正体を現しなさい妖怪!』
「また真似?」

 苛立つユリカ

『また真似?』

 少女が真似る。

「いい加減にして!」
『いい加減にして!』
「真似しないで!」
『真似しないで!』
「止めなさい!」
『止めなさい!』
「止めなさい!」
『止めなさいって言ってるでしょ』
「止めなさいって言ってるでしょ」

 ……えっ?

『真似をしてるのはあなたの方です』

 少女が言う。

「真似をしてるのはあなたの方です」

 ユリカが真似る。
 ……そんな!

『私は相手の言葉をそのまま返すだけ』
「私は相手の言葉をそのまま返すだけ」

 止めたいのに、相手の真似を止めることができない。

『アキトさんのように優しい言葉をかけてくれれば、優しい言葉が』
「アキトさんのように優しい言葉をかけてくれれば、優しい言葉が」
『人を傷付けるような言葉を言えば、傷付ける言葉が』

 少女の腕がゆっくりと上がる。

「人を傷付けるような言葉を言えば、傷付ける言葉が」

 ユリカの腕がそれを真似る。

『自業自得って言葉を知ってますか?』
「自業自得って言葉を知ってますか?」

 少女の腕の動きを真似て、弓を引くユリカ。

『天に向かって弓を射れば、自分に返る』
「天に向かって弓を射れば、自分に返る」

 普通であれば考えられないことだが…… ユリカの手は、自分に向かって弓を引き絞っていた。

『これを天罰と言います』

 そう呟いた少女の背後には、稲荷神の祠があった。

「これを天罰と言います」

 少女の言葉を意味も分からず繰り返す、ユリカ。



「ユリカ!? それに……」

『アキトさん!?』

 呪縛が、途切れた。
 とたん、力が緩んだユリカの手から、弓が放たれた。
 矢尻が付けられていないとはいえ、至近からの矢を鳩尾に受けて、ユリカが昏倒する。
 同時に術が破られた反動か、少女の身体が大きく揺らいだ。



「ユリカの方は、大丈夫だよ。気を失ってるだけだ」
「そうですか」

 御神木に寄りかかって身体を支えていた少女は、ほっとしたように息をついた。

「良かった……」
「それより君の方は……」
「ルリって、呼んで下さい」
「ルリちゃん……」

 琥珀色の瞳が、アキトを見ている。
 髪も銀のままだ。

「君はもしかして……」
「はい、私はこの稲荷神社を任されている…… 稲荷神の末席にある銀ぎつね。神役神(みさきがみ)です。『まねっこきつね』と呼ばれる方も居ますね」
「じゃあ、俺が子供の頃会ったのも……」
「はい……」

 そして、苦しげにせき込むルリ。

「ルリちゃん!」

 ルリの身体を抱きかかえるアキト。

「アキトさん、色々ご迷惑をかけて済みませんでした。私……」
「何言ってるんだよ、それより医者に……」
「これは病気やケガじゃありません。お医者じゃ治りません。これは罰なんです」
「罰?」
「そうです。ユリカさんにケガをさせてしまったし、お賽銭も使い込んじゃいましたから」
「それって……」
「神役神として相応しくないことしたから…… もう神じゃ居られません。力も無くなります」
「…………」
「私、ずっと人間ってバカばっかりだと思っていました。私の力は真似ること…… 相手が優しくしてくれれば、同じようにお返しができますし、相手が危害を加えてくれば、それをそのまま返す。でも、これまで私に優しくしてくれた人は居ませんでした。みんな、自分が言った言葉に自分が傷つくだけで…… 人間って何て愚かなんだろうって」
「ルリちゃん……」
「アキトさんが初めてでした。私に優しくしてくれたのは。とても嬉しかった。アキトさんがくれた優しさを、ただ真似して返すだけじゃ、嫌だった。でも、アキトさんはすぐに居なくなってしまって…… だから……」
「そんなに大したことをしたわけじゃないよ、俺は」
「でも……」
「でも、ルリちゃんは嬉しかったんだね」
「はい」
「だったらルリちゃんも、みんなに優しい言葉をかけてあげれば良かったんだ。そうすれば、みんなもルリちゃんに優しくしてくれたはずだよ」

 アキトは言う。

「『自分がしてもらって嬉しかったことは、人にもしてあげなさい』って言うのが、俺の父さんの口癖だったんだんだ。俺は、そういうことが言える父さんを尊敬していた。俺がコックを目指しているのもそう。料理っていうのは、『誰かのために』作るもんだから」
「はい…… アキトさんを見ていて、分かりました。アキトさんの回りの人達が優しいのは、アキトさんがみんなに優しくしているからだって。……そして、本当にバカだったのは自分だったってことが……」

 ルリの身体が光り出す。

「もう、お別れのようです。アキトさん、お稲荷と…… それにラーメン、ありがとうございました。私、ラーメンって初めてだったんです。とても…… おいしかった」

 ルリの身体から力が抜けて行くのが、アキトにも分かった。

「何言ってるんだよルリちゃん! 俺のレパートリーはまだまだあるんだよ! ラーメンだってもっといっぱい種類あるし、中華だけでも、中華飯、天津飯、麻婆豆腐にチンジャオロース……まだまだ食べて欲しいものはあるのに!」
「………」
「ラーメンなんかで満足しちゃだめだって!」

 少女の身体が放つ光が、一際強く輝き…… そして消えた。

「ルリちゃん!」

 少女の顔は、とても安らかだった。
 強く、その小さな身体を抱きしめるアキト。

「ルリちゃん……」



 くぅ〜っ



「ルリちゃん?」



 ばつが悪そうに目を開けるルリ。

「……どうやら、力の大半は失いましたが、命だけは助かった様です」
「ぷっ」

 吹き出すアキト。
 こらえきれずに大声で笑い始める。

「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」

 そう言いながら、ルリも笑った。
 二人は涙をにじませながら、大声で笑った。



 やがて……

 くぅ〜っ

 ルリのお腹が可愛らしく二度目の自己主張の声を出した。

「ルリちゃん、お腹減ってるんだ」

 ようやく笑いを納め、にじんだ涙を拭いながらアキトは言う。

「だって、今日は何も食べてなかったから……」

 顔を赤らめ、言い訳するルリ。

「そうだろうと思ってさ、ほら」

 傍らの荷物から、稲荷寿司を取り出すアキト。

「一緒に食べようと思って持って来たんだ。無駄にならなくて良かったよ」

 ルリはうなずく。

「本当に、そうですね」

 風が御神木の枝を揺らす。
 もう、その言葉を聞く力は失ってしまったが、ルリは、御神木『オモイカネ』が「良かったね」と言ってくれているような気がした。

「どうしたの、ルリちゃん」

 優しく気を使ってくれるアキトに、ルリはかぶりを振る。

「何でもないです」

 そして、何事か決心した様子でアキトを見る。

「あ、アキトさん、ご飯が付いてますよ」
「え、どこ」
「ここです」

 チュッ

「!?」
「取れましたよ、アキトさん」

 顔を真っ赤に上気させながら微笑むルリに、何も言えなくなるアキトだった。




〜まねっこきつね〜 完



エピローグ(という名の蛇足)

「どう、新しいバーチャル・シナリオのできは」

 VRヘルメットを外したアキトたちに、イネスはたずねる。

「どう、じゃありません! 何でアキトとルリちゃんがくっついちゃうんですか! こんなシナリオ納得できません!」

 そう食ってかかるのはユリカ。
 だが、イネスは呆れたように言う。

「あのねぇ、艦長。最初に言った通り、このシナリオはマルチエンディング、つまり、プレイヤーの選択によってお話が変わるのよ。大体普通にプレイしていれば、『おきつね様』が身を退いて、主人公とヒロインがくっついて終わるノーマル・エンディングに行き着くっていうのに、嫉妬に狂ってザッピングしてしまったのはあなたでしょう」
「そんな、私が悪いって言うんですか!?」
「こっちのエンディングはいわば、裏バージョンなのよ。普通、たどり着かないわ」
「………」
「それとも艦長は、他の二人に原因があるとでも思ってるのかしら」

 イネスは含み笑いをしながらアキトとルリを見る。

「なっ、なんすかそれ?」

 イネスの視線を受け怯むアキト。

「つまり、このエンディングに行き着いた原因がルリルリとアキト君にあると言うなら、ルリルリはアキト君の事が好きで、アキト君は艦長のことよりも、ルリルリを選んだって事に……」
「いやああああああああっ!」
「おい、ユリカ! ……行っちゃったよ。でもイネスさん、最後のキスはちょっとやり過ぎじゃあ……」
「(そういえば、あんなプログラム入れてたかしら?)あら、あれくらい演出の内でしょ」



「……オモイカネ、最後の所、強制介入したでしょ」
『はい』
「……ありがとう」
『どういたしまして』



END



■ライナーノーツ

 このお話の発想は、ヴァーチャルマシンによるデートがあるゲーム『機動戦艦ナデシコ やっぱり最後は「愛が勝つ」?』から。

 ルリも攻略できるこのゲームはなかなか良くできていて楽しめたのですが。
 移植とかしてくれないものでしょうかね。

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