「テンカワさん、もういいですから下ろして下さい」
医務室へと向かうアキトの背中の上で、もじもじと身体をよじらせるルリ。
「だめだよ、ルリちゃん。足挫いてるんだから」
聞き分けのない妹に言い聞かせるような、アキトの声。
「でも……」
「いいから、もっとしっかりつかまって」
「……」
そう言われてルリは、仕方無しにアキトの背中に身体を寄せる。
身体の火照りが、アキトに伝わってしまいそうで、恥ずかしい。
しばしためらった後、ルリは本当に小さな声でこう言った。
「でも……私、重くないですか?」
海洋資源調査船「なでしこ」激ラブ外伝4
〜乙女の悩み〜
女子浴室の脱衣所。
古風なアナログ式体重計を前に、真剣な表情を浮かべるルリ。
「………」
身体に巻いたタオルを押さえる手にきゅっと力を込め、意を決したように体重計に足を乗せる。
震える体重計の針が、やがて一点で止まった。
そして……
「どうしたの、ルリちゃん?」
いきなり背後からそう声をかけられ、まるで驚かされた小動物のように身体をすくめるルリ。
「ゆ、ユリカさん!?」
後ろからのぞき込んでいるユリカに、慌ててルリは、体重計の指示を隠した。
「か、勝手に見ないで下さいっ!」
「ルリちゃん?」
いつものクールな彼女らしくもなく、真っ赤になって抗議するルリに、ユリカはきょとんとした表情を浮かべる。
そして合点がいったのか、しかつめらしい表情を作ってこう言った。
「だめだよルリちゃん。ルリちゃんの様にちっちゃい頃から体重なんて気にしてちゃ」
「……ユリカさんには関係ないです」
真正面から見つめてくるユリカの視線に耐えきれず、横を向くルリ。
「だめだって、身体壊しちゃうよ。それに、女の子はふくよかなのが一番なんだから」
「………」
「そんなに痩せてると、男の子からも嫌われちゃうよ」
一瞬、身体を震わせたルリだったが、それでも表情を変えず、ユリカに背を向けた。
「……ユリカさんには分かりません」
「イネスさん、この体重計、狂ってません?」
「えっ?」
なでしこの船員は、年1回の定期検診が義務づけられている。
身長と体重の測定もその中にあり、今もルリが体重計に乗ろうとしていた。
「ああ、それね。服の分を最初から適当に引いてあるの。いちいち服を脱いで計ってもらうほど正確なデータが必要なわけじゃないから」
「………」
「挫いた足の方はもう大丈夫なようね。……って、どうしたの、そんな顔して」
「……何でもありません」
「………」
「ルリじゃんか。珍しいな、こんなトコに。何か用か?」
ベンチプレスでかいた汗をタオルで拭いながら、ルリに話しかけるリョーコ。
スポーツジムに顔を出すなど、ルリにしては本当に珍しいことだ。
共にトレーニングを行っていたヒカルとイズミも、何事かと手を止めて、ルリの方を見ている。
「いえ、気にせず続けて下さい」
「……? そうか?」
首を傾げながらも、今度は鉄アレイを手に取るリョーコ。
「……リョーコさん」
「何だ?」
手を休めようともせずに、平然と答える。
「私も、少しは運動した方がいいんでしょうか」
「は?」
思わず、手を止めてしまうリョーコ。
ルリが真剣な表情をして自分を見つめていることに気づき、咳払いを一つして、再びトレーニングに戻る。
「まぁ、しないよりやった方がいいけどよ。ルリのように小さい頃から、あんまり無理すると、身体に悪いぜ。軽い奴から始めないとな」
「そう、ですか……」
「ミナトさんは、水泳をやっていたんですよね」
「え、そうだけど…… どうしたの、ルリルリ」
「……何でもないです」
「……というわけ」
集まった面々を見回すミナト。
話題が話題だけに女性クルーばかりだが、ほぼ全員が集まっている。
「これはどう考えても……」
「ダイエット?」
「でもルリちゃんの歳から、それは無いんじゃ……」
どうにも納得が行かない様子のメグミ。
「それなんだけど……」
食堂に集まったミナト達の話を黙って聞いていたホウメイが、口を挟んだ。
「最近、食堂に食べに来ない時があるんだよ」
「って、ルリルリが?」
「ああ、私も心配してたんだけどね」
考え込む一同。
そして、ふと顔を上げるミナト。
「アキト君はどうしたの?」
「どうしてそこに、アキトの名前が出るんですかぁ!」
「船長うるさい」
「ああ、そう言えば」
ぽん、と手を打つイネス。
「あの子が足を挫いてアキト君に背負われて来た時、しきりに体重のこと気にしてたっけ」
「えーっ、そんなことがあったんですかぁ!」
「船長は黙ってて」
「ああ、そうか……」
「どうかしたんですか、ホウメイさん」
「あの子が食堂に来ない時って、必ずテンカワが非番の時なんだよ」
「じゃあ、ルリルリってば、アキト君に隠れてダイエットを……」
「ルリのやつ……」
それぞれがそれぞれの表情でルリの事を思い、考え込む。
「え、え、どういうこと?」
「船長はいいの」
「とにかく、このままでいいはずがないわ」
連れ立って、アキトの部屋を目指すミナト達。
「アキト君!」
アキトの部屋のドアを開け放った一同が目にしたのは、エプロン姿のアキト。
そして……
ケチャップで「るり」と書かれたアキト特製オムライスを前に、小さな先割れスプーンを手にしているルリ!!
「………!?」
きょとんとした表情から、見る見るうちに真っ赤になっていくルリの顔。
「あ、あ……」
驚きと羞恥から、口を開いても言葉にならない。
「ルリルリ……」
こちらも声にならないミナト達。
「でも……私、重くないですか?」
恥ずかしげに自分に問いかける少女に、アキトは笑ってこう答えた。
「何言ってるんだよルリちゃん。ルリちゃんはちょっと軽すぎだよ。ちゃんとご飯食べてる?」
「毎日3食、欠かさず食べてます。けど……」
「けど?」
「あんまり、量は……」
「そっか…… なでしこの料理は、大人向けにできてるしね。ルリちゃんにはちょっと合わないのかもね」
「……テンカワさんの料理なら、もっと食べられるかも知れません」
ルリがそう口にすることができたのは、アキトの背に身を預けている安心感に、気がゆるんでいたせいだったのだろう。
無論、冗談のつもりだった。
だから、アキトが、
「いいよ」
と答えた時、すぐには反応することができなかった。
「俺が非番の日なら」
そう言われてようやく、自分が何を言われているのか、そして自分が何を言ってしまったのか、気付く。
「でっ、でもテンカワさん!」
「遠慮なんて要らないよ。俺も料理の練習したいし。ルリちゃんに試食してもらえると、ありがたいんだけどな」
そう言われては、遠慮することもできない。
「テンカワさん……」
何も言えなくなってしまったルリは、きゅっとアキトの背にしがみついた。
「それで、アキト君が非番の日には、食堂に顔を出さなかったわけね」
ふぅ、とため息をつくミナト。
皆の視線を受け、ルリは真っ赤になったままうつむいている。
「でもそれだったらどうして、体重のこと気にしてたの?」
ユリカの無邪気な問い。
はっとしたように、ルリが顔を上げる。
「船長!」
ミナトが止めようとするが、もう遅い。
「アキトの料理で太っちゃったとか? おいしいもんね、アキトの手料理!」
天を仰ぐミナト達と、自分が何を言ってしまったのか、気付いていないユリカ。
「………」
「ルリちゃん?」
アキトの声に、びくっと身体をすくめるルリ。
その場の緊迫感に気付かぬユリカが、再び脳天気に言った。
「ルリちゃん、成長期なんだから、体重増えない方がおかしいんだよ。気にすること……」
「う……」
泣きそうになるルリ。
慌ててミナトはユリカの口を塞いだ。
「ルリちゃん、別に……」
そう言うアキトに、かぶりを振るルリ。
「違います。その……」
ためらいがちに、ルリは言った。
「逆なんです」
「「へっ?」」
皆の声が、唱和する。
「逆って……」
「その…… 私、せっかくテンカワさんに特製メニューを作ってもらってるのに、全然体重が増えなくて、それで……」
「ルリちゃん……」
「テンカワさんに…… 愛想を尽かされたらどうしようかって…… 怖くって……」
「ばかだな……」
「えっ?」
驚いて顔を上げると、そこには限りなく優しい笑みを浮かべたアキトの顔があった。
「そんなことで、俺がルリちゃんのこと、嫌いになるとでも思ったの?」
「あ……」
「俺って信用が無いんだ」
ちょっと、意地悪そうな顔をしてアキトは言う。
「ちっ、違います! だって、だってユリカさんが……」
「ユリカが?」
「私?」
きょとんとして自分のことを指差すユリカ。
「お風呂場でユリカさんに『女の子はふくよかなのが一番』とか『そんなに痩せてると、男の人に嫌われちゃう』って言われて、私…… 私……」
そう言ってうつむくルリ。
後は声にならない。
「ユリカ、お前!」
「船長ひどーい!」
「ちっ、違う……」
「ルリを相手に、プロポーションで張り合うなんて……」
「信じらんない」
「鬼ーっ!」
「悪魔ーっ!」
「人でなし!」
「人間、ああはなりたくないものね」
「違うんだったらー!」
「と、とにかくお邪魔したわね」
「むー! むー! むー!」
未だ騒ぎ立てるユリカの口を塞ぎながら、アキトの部屋を出ようとするミナトたち。
「いえ、みんな、ルリちゃんのこと心配してのことですから」
そう言って微笑むアキト。
「良かったらミナトさん達もいっしょに食べて行きませんか」
「アキト君……」
複雑な表情を浮かべ、ミナトは小さくため息をついた。
「せっかくだけど、もう『おなかいっぱい』だから」
「はぁ……」
「それじゃあ、『ごちそうさま』」
そう言い残して立ち去るミナト。
「テンカワさん……」
「ん?」
「ごちそうさまって、どういう意味なんでしょう」
「さぁ……」
二人して首を捻る。
こういう所は、似た者同士のルリとアキトであった。
END
■ライナーノーツ
> 古風なアナログ式体重計を前に、真剣な表情を浮かべるルリ。
今はみんなデジタルになってしまって、アナログ式は逆に手に入りにくいのだそうで。