海洋資源調査船「なでしこ」激ラブ外伝
〜私だけのチキンライス〜



「ルリちゃん、嫌いな物ってある?」

 きっかけは、3日前。
 食堂での、テンカワさんのこんな質問でした。
 私は口にしていたチキンライスを飲み込んでから、答えます。
 ちょっとタイミング的に外してしまいますが、口に物を入れたまましゃべるわけにも行きませんし。

「ご飯やパンとか……」

「そ、それって主食類じゃないか!」

 テンカワさん?
 そんなに驚くようなこと、私、言いましたか?
 私は何だか悪いことを言ってしまった様な気分になって、言葉を付け加えました。

「はい、でもちゃんと食べてますよ。好きじゃありませんけど」

「…………」

 あ……失敗でしょうか。
 テンカワさん、ますます顔を曇らせてしまいました。
 何か、私の答えに問題があったんでしょうか。

「……じゃあ、好きな物は?」

「ハンバーガーとか……ジャンクフード類ですね」

「…………」

 何だかテンカワさん、痛ましいものでも見るような目を私に向けます。

「テンカワさん?」

「えっ、ああ、ごめん。その……ジロジロ見ちゃって」

 そう言って視線を外すテンカワさん。
 本当に、どうしたんでしょう?
 さっきの悲しそうな顔。
 それを向けられることよりも……
 なぜテンカワさんが、そんな表情を浮かべるのか分からないことが……心に引っかかりました。




「オモイカネ、私の健康診断結果を」

 オモイカネはウインドウを展開し、私の定期健康診断票を出してくれます。
 結果に問題がないことは、分かっています。

「食生活バランス評価を……」

 少し考えて、船長……ユリカさんのデータを拝借することにしました。

「船長のと比較して」

 ちょっと遅れて、レスポンスが返って来ます。
 真面目なオモイカネのことですから、プライバシーの問題とか考えたのでしょう。
 でもこれは、食堂の利用記録を集計してるだけのデータです。
 セキュリティもかかっていませんから、その気になれば誰でも見ることができるものです。
 と…… それはともかく。

「………」

 ……酷いものです。
 寝坊しては、朝食を抜く。
 間食、夜食は摂り放題。
 挙げ句の果て、急に食事を抜いているのは、ダイエットの為でしょうか。
 こんな生活をしていて、船長、よくあれだけ元気で居られるものです。
 それに対して、私は3食ともちゃんと食べてますし、間食もあまり摂りません。
 栄養バランスも問題なし。

『よくできました』

 オモイカネもそう言ってくれます。
 でも、それでは何がいけなかったのでしょうか?

『栄養学、生理学的な見地からの要因は認められず』

 オモイカネにも分からないようです。
 健康面で問題が無いからには、要因は心理的なものなのでしょう。
 そして、そう言うことに関しては、オモイカネも頼りになる相談相手にはならないのでした。



「おっはよー」

「おはようございます……」

「どうしたの、ルリちゃん?」

「……何でもありません」

 悪いですが、今は、船長とお話ししたいような気分じゃないです。

「そお?」

 無愛想に答えた私を気にするでもなく、船長は言います。

「あ……」

「えっ?」

 そういえば…… 船長に聞いてみましょう。

「船長、嫌いな食べ物ってあります?」

「えっ? 特にないけど……」

「…………」

「しいて言うなら、アルコールが全然」

 それなら、私だって一緒です。

「では、好きな食べ物は?」

「甘い物。……あ、もちろん、アキトの作った料理なら、何でも!」

「………」

 ……聞いた私がバカでした。




 結局、この人に頼るしかないんでしょうか……

「あなたが他人の目を気にするなんてね、ホシノ・ルリ」

 医局に出向いた私の話を聞いたイネスさんは、妙に嬉しそうに言いました。
 どうでもいいですけど、興味深いサンプルを見るような目つきを向けるのは勘弁して欲しいです。

「アキト君がどう思おうと、どうでもいいことじゃないの? 彼は所詮は他人。あなたには関係ないわ」

 そんなこと、分かっています。

「でも……」

「最近、眠れてる?」

 不意に話題を変え、イネスさんの少し冷たい手が、頬に触れます。

「いえ……」

 実は、あれからよく眠れていません。
 ベッドでじっとしていると、どうしても考えてしまって。

「認めることが怖いのね……」

「えっ?」

「だから答えの回りをぐるぐると逃げ回ってる」

「私が……怖がってる?」

 何を?

 何に?

「もう一度言うわ。アキト君がどう思おうと、どうでもいいことじゃない。所詮、彼は他人。あなたには関係ないわ」

「…………」

「でも、あなたはそうじゃないと感じている。どうしてか……それが答えよ」



 ……今日は非番です。
 やはり寝付けなかった私は、大分遅くに起き出しました。
 もう、朝食という時間じゃありませんね。
 シャワーを浴びて少しはすっきりしてから、早いですが、朝食を兼ねた昼食をとることにして、食堂に出向きました。

「あ……」

 流石にこんな時間では、食堂に人影は無く……テンカワさんが、料理の下ごしらえのために厨房に居るだけでした。

「ルリちゃん、食事?」

「はい…… チキンライスをお願いします」

 こんな時は、好きな物でも食べて、気分を切り替えましょう。



「お待ちどうさま」

 しばらくして、テンカワさんがチキンライスと、それから豚カツ定食を持ってきました。
 どうやら、テンカワさんも少し早いお昼をとる様です。

『認めることが怖いのね……』

 不意にイネスさんの言葉が頭に浮かびました。

『だから答えの回りをぐるぐると逃げ回ってる』

「テンカワさん……」

「え?」

「教えて下さい、この間、どうしてあんな顔をして私のこと見たのか」

「ルリちゃん……」



「何て言ったらいいか分からないけど……」

 テンカワさんは、懸命に言葉を探している様子でした。

「……ここの食堂に限らず、大抵の食堂では、キャベツの千切りを作るのは、機械に任せてあるんだ」

「はい?」

 いきなり飛んだ話に、私は目を丸くしました。
 キャベツの千切り。
 テンカワさんの、豚カツ定食にも使われています。
 でも、それがどうしたと言うのでしょう。

「でも、ある施設の食堂でそれを、人の手で行うようにしたら、利用者の精神状態が明らかに良くなって、情緒不安定者が減ったというんだ」

「キャベツの千切りで、ですか?」

 私には、分かりません。
 キャベツの千切り……手で切っても機械で切っても一緒じゃないですか。
 差なんてない。

「そう、たかがキャベツの千切り。機械で刻もうと、手で刻もうと、味には全く変わりないはずなんだけど」

「…………」

「でも、きっとそういうものなんだよ。外食や食堂の料理ばかり食べていると家庭の料理が恋しくなるのは、ただ単に味つけとかの問題じゃなくて、そういった人の手による温かさ…… 不特定多数のための料理じゃなく、自分のために手をかけて作られた料理を心と体が欲しがるからなんだよ」

「でも、私は……」

「そうだね、ルリちゃんは生まれた時から施設で育って、そういった所の料理しか知らないから…… だからルリちゃんにとって、食事は単なる栄養補給になってるんだ。ご飯やパンとかの主食類が嫌いなのもその為」

 ……そうかも知れません。
 私がジャンクフードを好きなのも、きっと施設のご飯を食べずに済むからなのでしょう。
 あれは、あんまり食事という感じがしませんし。

「だから…… 悲しいなって思ったんだ」

 悲しい……

「テンカワさんの言ってること、よく分かりません」

 本当に?

「私にはそれが普通だったから。……別に悲しいと思ったことも無いですし」

 本当に?

「平気です」

 本当に?

「ルリちゃん……」

 私達は、しばらく無言でそれぞれのご飯に視線を落としました。
 テンカワさんは、豚カツ定食。
 私は…… そうです!

「テンカワさん! 私にも、ジャンクフード以外に好きな食べ物がありました」

「えっ?」

「このなでしこのチキンライスです」

 そうです、これを忘れていました。

「そっか……」

 嬉しそうに微笑むテンカワさん。

「ありがと」

「えっ?」

「いつもそれ、俺が作ってるんだ」

「あ……」

 後から聞いた話ですが、チキンライスはチャーハンよりも簡単に作れるので、それで見習いのテンカワさんでも作らせてもらえるのだそうです。
 簡単、と言っても、バカにしちゃいけません。
 料理長のホウメイさんに認められ、ちゃんとした一品を任せられると言うのは大変なことなのですから。

「それに知ってる? この船で、チキンライス食べる人って少なくて、いつも食べてくれるのはルリちゃんだけなんだ」

 テンカワさん、私を見てクスリと笑います。

「だから俺は、いつもルリちゃんのためだけにチキンライスを作ってるんだよ」

 最初、何を言われているのか分かりませんでした。

 私のため……

 私のためだけに……


 私のためだけ!?


 ボンッ!!


「て、テンカワさんっ!!」

 多分、私の顔、真っ赤です。
 分かりました。
 今なら分かります。
 テンカワさんの言ったこと。
 手料理というのが、いかに贅沢なものなのかが。

 私は、ずっと施設で育ちました。
 それなりに待遇は良かったけど、でも、それは私の才能に対しての物。
 私の才能の見返りとして与えられた物。
 お金を払って食堂でものを食べるのと同じです。
 まずいご飯もおいしいご飯もみんなに『公平に』出される一方で、『私のためだけのもの』なんて、無かった。
 そんなものを与えてくれる人なんて、居なかった。

 でも、それが私には当たり前のことだった。
 それ以外の世界など知らなかったから。
 だから、そのことが悲しいなんて感じようが無かった。

 だけど……このチキンライスが。
 チキンライスを、テンカワさんが私のためだけに作ってると言ってくれたことが。
 テンカワさんの優しさが、教えてくれた。
 何も知らなかった私に。

 そして、初めて気付きました。
 今までの食事が、とても味気ないものだったことに。

 今まで……


 今まで、ずっと寂しかったことに。


 イネスさんの言う通り、私は怖かったんです。
 だって……知ってしまったら、もう以前の何も知らない私には戻れない。
 今までは、知らなかったからこそ、平気で居られたのだから。

「……どうして」

「ルリちゃん?」

「どうして、テンカワさんは……」

 テンカワさんの優しさを…… 手放したくない。

 そう思ったら、急に不安になりました。
 テンカワさんは、どうして私に優しくしてくれるんでしょうか。
 私が施設育ちの可哀想な子供だから?
 ただの同情?
 私には…… 私にはそれぐらいしか思いつきません。
 だって、私の能力は、テンカワさんにとって価値を持ちません。
 私は…… 私の能力を別にしたら、ただの可愛げの無い子供に過ぎません。

「私……」

 口には、できませんでした。
 だって、聞くのが怖かったから。

「………」

「俺、さ…… ホウメイさんにチキンライスを任せられた時は本当に嬉しくて、ルリちゃんが食べに来るのを毎日楽しみにしてたんだよ」

 黙り込んでしまった私から何を感じ取ったのか、テンカワさんは私に向かって話し始めました。

「できが気になって……毎回厨房から出て来ては、ルリちゃんの顔を伺っていたんだけど……」

 知りませんでした、そんなこと。
 でも……

「がっかり、しませんでした?」

 いつも、平坦な表情の私。
 料理を食べさせる相手としては、張り合い無いことこの上ないはず。

『……あ、もちろん、アキトの作った料理なら、何でも!』

 何のてらいもなく、笑顔でそう言える、船長が……
 今だけは、ホントにうらやましかった。

 でも、テンカワさんは笑って首を振ります。

「そりゃまぁ、最初はね。ずいぶん悩んで、味付けとかも毎回変えてみたりして…… でも、すぐ気付いたよ」

「?」

「ルリちゃん、チキンライスを食べてくれるとき、すこぉしだけ、ここが……」

 テンカワさんは、自分の目を指差して、言います。

「目元と口元が緩んで…… 表情が柔らかくなるんだ」

「えっ!?」

 思わず、私、顔に手を当ててしまいます。

「うそ……」

「ホント」

「ウソです」

「ホントだって」

「ウソウソ…… だって……」

「本当。毎回見ていた俺が言うんだから間違いないって」

「だって……」

 口ごもる私にとどめとばかり、にっこりと微笑んでみせるテンカワさん。
 卑怯です。
 何も…… 言えなくなっちゃうじゃないですか。

「それに気付いてからは、本当にルリちゃんの顔を見るのが楽しみになったんだ」


『今日は気に入ってくれたようだな』

『今日は、だめか…… 火加減を変えてみよう』

『今日は自信あったのになぁ。何か考え事してたのかな?』

『よしっ、今までで最高の顔だ!』


「誰も気付かない…… 俺だけが知ってるルリちゃんの笑顔。ホントにいつも楽しみにしてるんだよ」

 本当に、楽しそうに笑うテンカワさん。

 ……テンカワさんだけが知っている私の笑顔。

 だめです…… そんなこと言われたら、私。

「だから、チキンライス以外にも作れるようになって…… ルリちゃんが喜んで食べてくれる料理を増やすのが、今の目標なんだ。やりがいって言ったらいいのかな」

「やりがい、ですか?」

「……料理って言うのはね、ルリちゃん、誰かのために作る物なんだ。食堂でみんなのために作るのもいいけど、特別な人に食べてもらうのも、やっぱり嬉しいことなんだよ」

「特別な、人……」

 私は、テンカワさんにとって、そう呼んでもらえる人間なんですか?

 本当に?

「俺、ルリちゃんの笑顔、好きだよ。そうやって……」

 少し、悪戯っぽく笑うテンカワさん。

「どんな顔をしていいか分からなくって、困ってる表情も」

「テンカワさん!」

 笑いながら、そんなこと言うなんて酷いです。
 私が怒るとテンカワさん、意地悪そうな表情を引っ込めて、こう言ってくれました。

「うん、でもやっぱり最後には、満面の笑顔で『おいしい』って言ってもらいたいな」

「……そんなの、いつまでかかるか分からないですよ。テンカワさんの料理の事じゃなく、私が……」

 少し、すねた私はそう言います。

「じゃあ、ルリちゃんがおもいっきり笑ってくれる時まで、作り続けるよ」

「ずっと?」

「うん、ルリちゃんが許してくれるなら」

「本当に?」

「本当に」


「……いっ、……一生、かかるかも知れませんよ」


 きょとん、とした表情を浮かべるテンカワさんに、自分がとんでもないことを口走ってしまったことに気付きました。

 これじゃまるで……

 バカなことを言った。
 バカなことを言った。

 私の…… バカ。

「いいよ……」

 柔らかく、微笑むテンカワさん。

 今、何て?

「俺も、ルリちゃんの笑顔、見続けていたいからね」

 甘く、掠れる声。

 テンカワさんが、どういう意味で言ってくれたのか、私には分かりません。

 でも、それでも……

「テン……」

 いいえ。

「アキト…… さん」


 私には、とても嬉しかったんです。



 END



■ライナーノーツ

 おかしい…… 料理を通した「アキトとルリのふれ合い」のお話だったはずなのに、どこをどう間違って、こんな甘ったるい「ラブラブ」ものに……
 まぁ、感想を下さる方々からの「ラブラブを!」というプッシュが効いてるんでしょうけどね。
 しかしこのお話、あまりの「あまあま」さ加減に、書いている本人、

「11歳の女の子を口説いてるって、自覚あるのかテンカワ・アキト!!」

 と、突っ込まずには居られませんでした。
(いや、この場合、口説いてるって自覚、あっても無くても問題があるような……)
 このお話を書いた当時はこういうのは弱くて、パソコンの前で転げ回りながら書いてました。

> 嫌いな食べ物、米、パン、麺類などの主食類
> 好きな食べ物、ジャンクフード

 この辺の情報はWikipediaにも載ってないんですね。
 ゲーム『機動戦艦ナデシコ やっぱり最後は「愛が勝つ」?』の攻略本、


 辺りが参考になりますか。
 ユリカの好き嫌いも同様です。


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