「パンツァー・アンド・マジック」

第六章 鉄壁に挑む−10

「乾将軍!」

 楓の声が一際高く響き渡り、そして過去の、楓には干渉できないはずの光景の中に在った乾がゆっくりと楓を見た。
 まるで、夢から覚めたような面持ちで。

 真摯に祈り続けた楓。
 己の真実を貫き、圧倒的な不利を覆して見せた大地。
 その大地を信じ、助け続けたアウレーリア。
 かつての敵国であるアメリカ人でありながら、その立場を乗り越えて力を貸してくれたエレン。

 誰か一人が欠けたとしても届かなかっただろう、その想いが、ついに、ついに乾将軍へと届いた。
 楓と乾を残し、周囲の風景がかき消されるように靄に包まれていく。
 過去は移ろい、現在と成る。
 乾は酷く疲れた老人のような顔をしていた。
 その瞳に宿るのはあらゆる負の感情。
 憎悪、憤怒、怨恨、嫌悪、怨嗟、そして一抹の悲哀と自嘲、倦怠。

「疲れていらっしゃるのですね」

 人の感情を察することに長けた楓であればこそ、乾の心の奥底にある疲弊を感じ取ることができた。
 そして人の身を捨てた乾だからこそ、己を理解してくれる楓の言葉は胸を打つ。

「眠られますか?」

 そう、楓は穏やかに問う。

「ああ……」

 乾はゆっくりと瞳を閉じた。



「最後はダイチが一人で美味しいところを掻っ攫って行ったわね」

 片頬を釣り上げて笑うエレンに、大地もまた笑って答える。

「一人舞台をやりたがるのは男の性ってもんさ。女の前では特にな」

 そして表情を改め独白する。

「本来なら勝てる相手じゃなかった。だが、敢えてこちらの短所に目を向けず長所にこそ目を向ける勇気、それがあったからこの九七式中戦車チハで勝つことができたんだ」

 あきらめない内はけっして終わりではないのだ。

「俺の意地に付き合ってくれてありがとう、アウレーリア、エレン」

 大地の言葉に対して、アウレーリアは首を振った。

「乾将軍は道を誤っているのだと。そなたの想いは正しいのだと、それを証明するために最後まで挑んだ戦いだったのであろう?」

 そう言って微笑む。

「そんなそなただからこそ楓は信じたのだし、妾は力を貸したのじゃ。そしてこうして生き残ることができた。エレンも同じであろう?」

 エレンは瞳を笑みで細めると答えた。

「確かにね。ダイチはあたしたちに最後まで希望を捨てないことを教えてくれたわ。そしてあたしたちもそれを信じることができた。だから強いのね。だから負けなかったんだわ」

 そして、京都の街を覆っていた重苦しい空気がふと緩んだ。

「楓の方も上手く行ったようじゃな」

 アウレーリアのつぶやきが、大地の耳にも届いた。
 それと同時か、巨大な質量が轟と近づいて来るのを大地は感じた。
 大地は顔を跳ね上げると目を見張る。

「龍!?」

 以前に見た飛竜どころでは無い。
 見る者を圧倒する巨大で神々しいまでの姿。
 龍が京都の南から北へ進みながら天へと昇って行く。
 それと同時にまた、不自然に曇っていた空も晴れていった。
 すれ違いざま、龍が大地たちに視線を向け笑ったように見えたのは錯覚か。
 アウレーリアが教えてくれる。

「京の街の北を守る貴船神社は気生根と言って、気が生じる場所だという。そこから龍安寺、天龍寺、妙心寺、相国寺、神泉苑、泉涌寺、東福寺、石清水八幡と龍に所縁のある寺社を繋げたものを京都の昇り龍と呼ぶ。乾将軍に抑えられていたこの地の龍が解放されて天に昇って行ったのであろう。良いものを見ることができたな」

 大地はその言葉を聞きながら飛び去って行く龍の壮麗無比なる姿を己の心に焼き付けた。
 きっと、あの姿は伏見稲荷大社で頑張ってくれていた楓からも見えただろう。
 そして、なおも炎上するM4シャーマン中戦車に背を向け九七式中戦車チハは進む。
 砲塔を失ったその車体を大地はそっと撫でた。

「ありがとう。そして、お疲れ様」

 そう、ささやく。
 いつしか宙をはらはらと薄紅色のものが舞っていた。
 大地はそれを手のひらに受けつぶやく。

「雪?」

 いや違った。

「桜か。秋なのに」
「秋咲く桜、不断桜じゃな」

 アウレーリアは九七式中戦車チハを停止させる。
 ふと、乾の声が届いた。


 桜色に
  わが身はふかく
   なりぬらむ
  心にしめて
   花を惜しめば


「拾遺和歌集に収められた一句じゃな」

 つぶやくアウレーリアに、大地は問う。

「意味は?」

 アウレーリアは一呼吸おいて語った。

「我が身は深い桜色になってしまっただろう。心に沁み込ませて花を惜しむので…… そういう歌よ」
「そうか……」

 大地は手のひらの上の桜の花びらを見つめつつ言った。

「桜に看取られて、英霊の一柱となられたんだな」

 変わらぬものなど無い。
 大地はそう思う。
 乾も、そして自分も。
 エレンが首をひねる。

「エイレイ? 守護聖人のようなものかしら」
「そんなところじゃ」

 アウレーリアは笑って九七式中戦車チハを再び走らせる。

「大地……」

 彼女は言った。

「花は散っても、また咲くものじゃ」

 大地は夢から覚めたように、二度、三度と瞬きをした。

「花は咲く。散ってもまた咲く」

 大地は噛みしめるようにつぶやいた。
 桜舞い散る風を頬に受けながら。

「咲きては桜、凝れば鉄、か。俺たちも、散ってはまた咲く桜の花のようなものなのかも知れんな」

 大地は桜の花びらを握った手を胸に当てる。
 そこにはハーモニカの確かな感触があった。

「大地さん」

 そして、桜吹雪の向こうから、楓が歩み寄って来るのが見えたのだった。



■ライナーノーツ

>「京の街の北を守る貴船神社は気生根と言って、気が生じる場所だという。そこから龍安寺、天龍寺、妙心寺、相国寺、神泉苑、泉涌寺、東福寺、石清水八幡と龍に所縁のある寺社を繋げたものを京都の昇り龍と呼ぶ。
>「秋咲く桜、不断桜じゃな」

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