「パンツァー・アンド・マジック」
第六章 鉄壁に挑む−9
「仕掛ける場所は次の小路」
大地は操縦手席のアウレーリアに指示を出す。
「アウレーリア、次の小路を右だ。全速で引き離せ」
「承知した」
九七式中戦車チハの最高速度は時速三十八キロ、M4シャーマン中戦車とほぼ互角だ。
しかしV型エンジンの採用による重心の低さ、そして軽くて小型な分、小回りは効く。
その上、アウレーリアの神業のような操縦だ。
履帯を滑らせながら角をぎりぎりで曲がって行く。
「せ、戦車でドリフトぉ? あたしは夢でも見ているの?」
慣性で車室内壁に押し付けられながらエレンが呻いた。
「しゃべっていると舌を噛むぞ」
アウレーリアは、笑みさえ浮かべて告げる。
九七式中戦車チハの動きは、重い上に重心が高く方向転換の度に減速しなければならないM4シャーマン中戦車とは比べものにならなかった。
敵車両を引き連れながら狭い小路へと突入する。
敵は砲撃を繰り返すが走行中なので当たらない。
しかし機関銃を乱射してくるため大地たちは頭を外へ出すことができなかった。
「次の角を右に。次も次もずっと右だ」
京都の街は碁盤の目状に道が整備されている。
行き止まりを気にせず行動することができた。
また、九七式中戦車チハは車体の右側に操縦手の席があり、M4シャーマン中戦車はその反対だ。
戦車のような視界の悪い乗り物では特に操縦手席側への旋回はやりやすく、逆はやりにくいものだった。
そういった差もあって九七式中戦車チハは地の利を最大限に利用してM4シャーマン中戦車を引き離して行く。
そしてひたすら右に曲がって行くということは、
「よし、一回りして背後に出たぞ!」
ということになる。
「敵に対応させる暇を与えず突っ込め!」
M4シャーマン中戦車の背後から肉迫する九七式中戦車チハ。
勝負は一瞬、機会は一度きり。
それに大地は命を賭けにして挑む。
「何故折れぬ! 何故退かぬ!」
乾の声が聞こえた。
「日本帝国陸軍の軍人として……」
言いかけ、大地は首を振る。
「いいや、違うな。そんなものより、俺を信じて戦ってくれる仲間のためにも負けるわけにはいかないだろう?」
大地は楓を、アウレーリアを、エレンを信じ、また信じられている。
そして乾将軍にも自分の想いが届くと、そう信じているから大地は信念を貫く。
そういった言霊が込められた言葉だった。
「大地さん?」
一心不乱に祈りを捧げていた楓は、その耳に大地の言葉を聞いた。
いや、その言葉は稲荷神によって、孤独な戦いを続けていた彼女に届けられた。
「一人じゃない」
そう思うことで、今まで打ちひしがれていた身体と心に不思議な力が湧く。
そうして余裕が持てたことで、彼女は初めて気付くことができた。
「今まで私は何を……」
怨霊は祓うのではなく鎮めるしかないと言ったのは彼女自身ではなかったのか。
国を挙げての祈りに勝つことが目的では無い。
荒ぶる魂をなだめ、鎮めることこそが、彼女の役目だったのだ。
古くから神の怒りを鎮めるために人は供儀を行い、供物を神に捧げて祭りを行ってきたのだから。
「もう、迷わない」
楓は祈った。
彼女の唇からは古来の祈祷が何度も何度も繰り返された。
「貴様らには、もう何も残っていないはず」
なおも言い募る乾に、大地は宣言する。
「残っているさ、この俺の魂だ!」
腹に力を込める。
「要るのは奇跡か? なら起こしてやるさ」
M4シャーマン中戦車が接近する九七式中戦車チハに気付いて砲塔を背後へと旋回させ始めるが、
「遅い!」
大地は笑みさえ浮かべて勝利を確信する。
「最後の晩餐とやらは無理でも、神に祈る時間ぐらいはあるだろう。迷わず成仏するよう祈れ!」
悪霊に操られているだろうアメリカ兵に対してそう言ってやる。
狙いは後部、エンジンだ!
大地は立ち上がり、車体の外に上半身を晒した。
薬剤を詰めたガラス瓶の口に信管を取り付けたもの、日本帝国陸軍制式の手投火焔瓶から安全栓を抜く。
「これでも喰らえ!」
大きく振りかぶってM4シャーマン中戦車の後部に投げつけた。
火炎瓶はM4シャーマン中戦車の砲塔の後ろ、エンジン部で割れた。
薬剤をぶちまけ信管により付いた火を燃え上がらせる。
そしてその炎はM4シャーマン中戦車の燃料、ガソリンに引火した。
「燃えにくい軽油を燃料にする日本の戦車に対して、あの戦車はおあつらえ向きなことに火災を起こしやすいガソリンエンジンだ。だからこそ火炎瓶が効く」
大地の奥の手はこれだったのだ。
大地の耳は九七式中戦車チハのジーゼル特有のエンジン音と、M4シャーマン中戦車のガソリンエンジンの音を確かに聞き分けていた。
「切り札っていうのは最後まで取っておくもんさ。日本陸軍をなめるな!」
それは、ただの捨て身の攻撃では無い。
冷静な計算に裏打ちされた、しかし勇気が必要な行動だった。
瞬く間に黒煙を上げるようになったM4シャーマン中戦車は弾薬に引火したのか、その後、派手な轟音と共に爆発を起こした。
■ライナーノーツ
> 薬剤を詰めたガラス瓶の口に信管を取り付けたもの、日本帝国陸軍制式の手投火焔瓶から安全栓を抜く。
これは、こちらの同人誌『日本の手投弾薬 1』に図面が載っています
また、この同人誌の作者様は、使用説明書を含むカラーイラストを、このように公開していらっしゃいます。
>「燃えにくい軽油を燃料にする日本の戦車に対して、あの戦車はおあつらえ向きなことに火災を起こしやすいガソリンエンジンだ。だからこそ火炎瓶が効く」
ノハンモン事件で日本の損傷戦車の75%が復帰できたのは、八九式中戦車乙が炎上しにくいディーゼルエンジンだったからという説があります。
炎上すると装甲が焼きなまされて再生できなくなるんですね。