「パンツァー・アンド・マジック」
第三章 約束−3
一方、おかずは主計科がアウレーリアに配慮してくれたのか牛缶、牛肉の大和煮の缶詰を支給してくれたのでこれにする。
「ビーフ缶ね」
エレンも頬をゆるませていた。
「スパムばっかりの食事には飽き飽きしてたところだから嬉しいわ」
楽しげにそう言う。
「すぱむ?」
「ソーセージの材料を缶詰にしたものよ。安くて保存が利くから軍でもよく使われて…… 飽きられたわ。昨日もスパム、今日もスパム、明日もスパム、来週になってもまだスパムって、よくぼやいたものよ」
そんなエレンの言葉を耳にしながら、大地は食事の準備を続ける。
飯盒の中蓋のすりきり一杯が二合だからそれを二杯、アルミ製の飯盒に入れて井戸水で麦を混ぜた米を研ぐ。
なお、蓋なら三合だ。
飯盒で一合だけ炊くことは難しいから、これで間に合うのだ。
その後、飯盒の胴体には二合と四合の米を炊くときの水の量を示す刻みが入っているので、それを目安に水を入れて三十分ほど置いたら竈にかける。
米を水につけて置く時間は最低十分程度でも炊けるが、つけて置く時間が長い方が失敗しないし美味く炊けるのだ。
「はじめチョロチョロ中パッパ、赤子泣くとも蓋取るな。などと申したな。火加減、水加減が難しいのであろう?」
アウレーリアが首を突っ込むが、
「いんや、そんなの適当でも飯は炊けるぞ。要するに火が通って水分が飛んだら炊き上がりだから」
「見えない鍋の中の状態をどうやって知るのかえ?」
不思議そうに問うアウレーリアに、大地は答える。
「沸騰したら蓋の隙間から蒸気が出るだろ。それが炊けてる証拠だ。で、蒸気が少なくなって、少し焦げたような匂いがしたら炊き上がりだ。後はひっくり返して蒸らせばいい」
大地は水加減も火加減も適当だったが、この方法を覚えてから飯盒炊爨で失敗したことが無い。
竈の中で薪がはぜるのを眺めながら待つ。
ぐらぐらと沸いて蓋が持ち上がってきたところで重石代わりに牛缶を乗せた。
こうすることで牛缶も温めることができ、一石二鳥だ。
蒸気が少なくなって来たらよく注意する。
ここを見過ごすと、焦げた煙を蒸気と見誤って飯を炭にしてしまうのだ。
「よっと」
頃合いを見て革手袋を嵌めた手で飯盒を下すとひっくり返す。
底を叩いたりはしない。
そうしなくても自重で飯は自然と落ちるし、熱せられた飯盒を叩くと底が変形してしまう。
大地は熱いうちに草の葉で、すすや吹きこぼれなどの汚れを擦り落とす。
すすのついた飯盒は洗うのが大変だが、まだ熱いうちに飯盒の回りを草や木の葉で擦ってやると、吹きこぼれやすすはきれいに取れてしまう。あとは水洗いだけで充分なのだ。
そうやって五分ほど蒸らして出来上がりだ。
蓋や内蓋などを食器代わりに使って盛り付け、アウレーリアと楓、エレンに渡す。
「良く炊けてますね」
ほかほかと湯気を出す麦飯を前に楓が感心したように言う。
「飯盒炊爨は日本陸軍の基本技能だからな」
諸外国では飯盒は食器として使われるだけで、普通これを使って煮炊きはしたりしないのだ。
だから飯盒炊爨は完全に日本独自の文化だった。
大地は牛缶を官給品の折り畳みナイフの柄に付属する缶切りで開けた。
温まっているので食欲をそそるいい匂いがした。
「こんなときでもお腹は減るのねぇ」
苦笑するエレンに、大地は言う。
「こういうときにこそ食事ができるようになっておかないと身体が持たんぞ。まずは食うことだ。たとえ恐怖に震えながらでも食えるやつは、食べ物を受け付けなくなっている上品な連中に比べれば生き残る率が高まる。食いもんは体力だけじゃない、気力をも支えるからな」
炊き立ての麦飯を牛肉の大和煮…… 醤油、砂糖や生姜などの香辛料で濃く味付けをした煮物と、楓が作ってくれた大根の味噌汁で食べる。
腹いっぱい食べられるのがぜいたく。
それは戦前から変わらぬ日本の食事だったし、牛缶は陸軍でも人気のあるおかずだった。
濃い味付けの大和煮は大盛りの麦飯によく合う。
温まった大和煮を麦飯に乗せると汁がしみ込むように受け止められた。
湯気が出るような麦飯の温かさに香辛料の匂いが一層強まる。
視覚、嗅覚により食欲を刺激され、はやる気持ちを押さえながら箸を運ぶともうたまらない。
生姜の香味と肉の旨味が口の中に広がり、箸が止まらない。飯が進む。食べ始めているというのにますます腹が減っていくかのようだ。
楓が作ってくれた味噌汁もまた美味かった。
煮過ぎずそれでいて味噌の味がしみ込んだ大根は歯ごたえが良く、汁には煮干しと大根の出汁が溶け込んでいていい味を出している。
器に口を付けてすすれば腹に染み通るようで、一日の疲れが溜まった身体が心底喜んでいるのが分かる。
「うん、これなら毎日食べてもいいくらいだな」
大地は味噌汁を口にすると楓に笑いかける。
味噌汁の出来が気になるのか、楓が上目遣いにちらちらと自分の様子を窺っていたので思ったことを素直に口にしたのだが、
「味噌汁を毎日って……」
楓は色白の顔を真っ赤に染めて卒倒しそうになる。
「大地…… そなたがこの場で楓に求婚しているというのでなければ、そのセリフは大胆すぎるぞ」
「俺のためにミソスープを毎日作ってくれ、って父さんが日本伝統のプロポーズだって言ってたわね」
アウレーリアとエレンにそう言われて、大地は誤解されても仕方がない発言をしたことに気付く。
「い、いや、それぐらい美味かったってことで、そういう意図はまったく…… 大体、求婚の言葉にしちゃありきたり過ぎるだろ」
「求婚の言葉など、いつ、どこで、誰がしてもありきたりになるものじゃよ。人の歴史が始まってからどれだけ繰り返されてきたと思うておる」
大地の釈明に、アウレーリアが茶々を入れる。
しかしそんなやりとりも、楓の耳には届いては居ないようだった。
「布団は一つ、枕は二つ……」
楓は夢見るようにつぶやき、ほにゃっと笑み崩れると頬に両手を当て、いやいやっと首を振る。
「楓……」
大地には、彼女の思考がまったく理解できなかった。
馬鹿な男にとって女は永遠に謎とも言うが。
「完全に出来上がっとるな」
アウレーリアが呆れたように言った。
「息をするように女を落としておいて自覚無しとはの、そのうち刺されても知らぬぞ」
「むぅ……」
そんなこともあったが、一日で二百五十キロ近くを走破したこともあり、疲れていた大地は、二合の飯を瞬く間に平らげた。
一方でアメリカの食事に慣れたエレンの口に合うかと心配した大地だったが、エレンは問題なく完食していた。
旺盛な食欲が、その見事な身体を作っているのか。
そこに楓がつぶやいた。
「不潔です」
……やはり彼女に心を読まれているのでは、と大地は冷や汗をかく。
■ライナーノーツ
>「スパムばっかりの食事には飽き飽きしてたところだから嬉しいわ」
スパムについては、モンティパイソンのコント、スパムがスパムメールの語源になっているのは有名な話ですね。