「パンツァー・アンド・マジック」
第一章 松代大本営−7
……生きているの、あたしは。
アメリカ陸軍看護軍団所属のエレン・マツナガ従軍看護婦は傾いた固い艦の床の上で目覚めた。
鈍い痛みを訴える頭に刺激を与えないようゆっくりと身を起こす。
大きな胸によって張りつめた看護服には赤十字の徽章が付けられていた。
「ここは……」
エレンはその青い瞳を見開く。
結い上げた金の髪が一筋、ほつれて風になびいた。
彼女の記憶が確かなら日本に向けた戦車揚陸艦の中だった。
全長百メートル足らず、速度十一ノットのやたらと遅い艦だ。
戦争中のヨーロッパならそれも我慢できた。
制空権はこちらにあったし常に味方の艦が護衛してくれた。
船足が遅かろうと問題なかった。
船酔いして悪態をつく者、悪態をつく余裕も失くす者以外は。
「確か、あたしたちは海から現れたドラゴンに襲われて……」
そうだ、海から現れた化け物は一撃で護衛の駆逐艦を真っ二つにして沈めてしまった。
それほど巨大で、しかし攻撃時に瞬時海面に現れるだけのその全容や詳細は分からなかった。
エレンがドラゴンと呼んでいるのも、その馬鹿げた力からそう形容するしか無かっただけだ。
慌てて他の艦が爆雷を投下するが、いたずらにやつを怒らせるだけで効果があるようには見えなかった。
一隻ずつ沈められていく駆逐艦。
なのに守られているこの戦車揚陸艦は亀のようにのろかった。
後ろから蹴飛ばしてやりたくなるほどのろかった。
罰当たりにも神に悪態をついてしまうほどにのろかった。
同乗していたローマ教皇庁(バチカン)の神父…… 悪魔祓い師(エクソシスト)は言った。
この船は聖遺物で、神の力で守られているから大丈夫だと。
確かにこの艦だけは最後まで残った。
悪魔祓い師の言うとおり神の力で守られているのか、それとも味方が犠牲になって最後まで守ってくれたお蔭か。
口の悪いとある軍曹は神と悪魔はいつだってセットで、影で手を結んでいるのさ、などと言っていたが。
タラップを登って甲板上に出る。
「これは……」
艦は陸地に乗り上げていた。
おそらく艦首に設けられた観音開きの扉を開いて揚陸用ランプを展開すれば、搭載された車両ごと上陸はできるだろう。
確かに、この艦は目的どおり日本にたどり着くことができた。
だがしかし……
暗澹たる気持ちで船尾を見る。
無い。
艦橋と、ジーゼルエンジンを載せた船尾が丸ごと無くなっていた。
まるで巨大な顎に齧り取られたように。
「どうなってるのよ、この国は」
理解の範疇を超えている。
帰る手段まで失って、こんな国に残されてどうしろというのか。
「けど」
九州に向かった別働隊が気にかかる。
万が一、あれを日本軍が手に入れたら大変なことになる。
取り返しのつかないことになる。
恐ろしいことになる。
それはアメリカ軍自身が証明していた。
「神よ……」
握りしめた拳を震わせる。
そんなエレンを一羽のカラスが見つめていた。
血のように赤い瞳をしたカラスが見つめていた。
「ほう?」
己の操る式神の目を通して知った光景に、男は笑った。
暗雲垂れ込める京都、陰陽寮に男は居る。
「生きてこの日本の土を踏んだか、キリスト教徒。奇跡の残滓もそう馬鹿にしたものではないな」
言葉ではそう言いつつも口調は、表情は真逆の心情を物語っている。
「だが、そんな残骸にすがっているからお前たちは負けるのだ」
まるで預言者のように言い切る。
「本当に自分たちが正しいと信じるのなら、自分たちの行いが正しいと信じるのなら、あの日の決断と行為が正しいと信じるのなら……」
口の端を釣り上げる。
「そんなものは捨てて己の信仰心だけで、己の信念だけで、己の身だけで戦って見せよ。さもなくば、我が元にたどり着く前に、悪鬼にその身を貪り食われるだけだ。果たして幾人が生きて我が前に立てることか」
男は身をひるがえす。
「大海竜を抑えるのは骨が折れたが、九州に向かった『本隊』は迎え入れた。後は望むがままに踊り囀ってもらうだけ」
男は笑う。
その声は次第に高く、耳を聾せんばかりに大きくなっていった。
それは笑いなのか?
いや、男から噴き出す高密度の怨念が出す怨嗟の声。
すべてを嘲笑い、すべてを恨む、そして……
「貴様らの国を、友人を、家族を、同じ目に遭わせてやろう」
すべてを憎む声だった。
■ライナーノーツ
>アメリカ陸軍看護軍団所属のエレン・マツナガ従軍看護婦
元々エレンは男性キャラで日系アメリカ人により構成されていた第442連隊戦闘団の兵士でした。
しかし、プロトタイプを新人賞に応募したところ、「女性キャラにした方がいい」と指摘されてしまいました。
そこで、第二次世界大戦中のアメリカ軍女性兵士についてネット上を調査したのですが情報は無く、